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池田誠の「今週の逸品」第13回 『ぼくらマガジン』昭和46(1971)年5月10日号

前回は「仮面ライダー」最終回の特集を載せた唯一の少年誌について述べた。

どの雑誌も次の新番組「仮面ライダーV3」にかかりきりになる中で、『冒険王』昭和48(1973)年4月号だけは、V3をメインにしながらも「仮面ライダー」最終回の4色特集をしっかり組み、ゲル・ショッカー最終怪人ブラック将軍=ヒルカメレオンの図解まで載せていた。
放映当時の少年雑誌(実際は放映終了3週間後)が載せた、最後の「仮面ライダー」特集は、なんとも輝かしい。

それでは、最初に「仮面ライダー」の特集を載せた少年雑誌は何だったか?

少年雑誌に限らないのなら『週刊TVガイド』昭和46(1971)年4月9日号がある。(これは、のちにこのコーナーで扱う予定)
だが少年雑誌に限れば、そう、よく知られた講談社『週刊ぼくらマガジン』昭和46年5月10日号である。
5月10日号といえば発売はその1カ月ほど前だから、4月中旬(実際は一部地域を除いて4月13日)の発売ということになる。「仮面ライダー」第2回が放映された直後のことだ。

もともと講談社は、『ぼくら』や『少年マガジン』で「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」といった円谷プロのウルトラシリーズを掲載していた。
一方、小学館は『キャプテンウルトラ』や『ジャイアントロボ』などを掲載していたが、そののち円谷作品の掲載権を得て、ウルトラシリーズは「帰ってきたウルトラマン」以降、小学館の独占となった。
この小学館の雑誌たるや、その裾野はおそるべき広さで、『小学館BOOK』『少年サンデー』はもちろん、『幼稚園』『よいこ』といった幼年誌、そして各学年誌の存在がここに加わる。すらりと並ぶ各誌の中、作品は縦横無尽に展開できた。

さて、そこで講談社である。
ウルトラシリーズ後、「仮面ライダー」の掲載権を入手した講談社だったが、当時刊行の少年誌は『少年マガジン』『ぼくらマガジン』『たのしい幼稚園』くらい。
しかも『少年マガジン』は、大学生の読むものになっていて、ちびっこ感は希薄だったし、一方、幼児向けの『たのしい幼稚園』では特集を組んでもたかがしれていた。
現に『少年マガジン』は当初「仮面ライダー」の連載はなく、特集を載せるのも翌年(昭和47年)になってからだった(これもこのコーナーでのちに扱う)。また『たのしい幼稚園』は、スタート時の昭和46年5月号から「仮面ライダー」の漫画を連載したものの、写真記事を載せたのは少し後のことになる。

要するに『ぼくらマガジン』しかなかったのだ。ここに渾身の、濃密な「仮面ライダー」特集が登場する。

『ぼくらマガジン』は、昭和46年4月12日号(同年3月16日発売)から石森章太郎(石ノ森章太郎)による原作漫画の連載を始めていた。その連載5回目の5月10日号、「仮面ライダー特集号」と銘打たれての大々的な特集が、ここでいう、最初に少年誌に掲載された「仮面ライダー」の特集である。

ちなみにここでの圧巻のカラーグラビアの構成は、前号の「タイガーマスク」特集でも組まれており、このまま続いていたら『ぼくらマガジン』の稀有な個性となったかもしれない。

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内容を具体的に記しておこう。
まず表紙は、サイクロン号に乗る仮面ライダー(旧1号)が大写しで登場する。それ以外のキャラクターは一切ない。
ページをひらくと、「レッツゴー!!ライダーキック」の歌詞と一緒に「仮面ライダー」の写真、そして崖の上に小さくサソリ男という、実に珍しい写真。この写真を扉にグラビア15ページに及ぶ圧倒的な「仮面ライダー」特集が始まる。

特集の扉をめくると、8種に及ぶライダージャンプを4色ページで紹介。次に2色2ページで仮面ライダーの図解、4色2ページでサイクロン(オフロード用)の迫力あるジャンプ、次の2ページで2色でサイクロンの図解。さらに次の4色の2ページは怪人たちの図解(くも男、さそり男、こうもり男、サラセニアン)、次2ページは2色でショッカー基地の図解とつづく。最後に、これぞ「仮面ライダー」という圧巻の戦闘シーンの数々を4色2ページで。
図解の詳しさはいうまでもなく、4色の写真グラビアは「仮面ライダー」の魅力を余すところなく見せつける。崖の上から投げ飛ばす、転げ落ちる、飛び降りる、ちびっこ向けの特撮番組では見たこともないような新鮮な場面の連続。それまでの2回の放映を見た子供たちは、またこのグラビアで心躍らせたに違いない。

 

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残念ながらこの『ぼくらマガジン』は、この三週間後、昭和46年5月31日23号をもって休刊となってしまった。
漫画中心といいながら幼児や小学校低学年をも掬い取ろうとした、中途半端ともいえる方針が挫折した形である。
だが、今思えばその中途半端さこそ、この圧巻のグラビアや充実の図解を盛り込んだ濃密な仮面ライダー特集を生んだのだった。光り輝くような「仮面ライダー」特集は、当時の講談社の少年誌がかかえていた、読者層の棲み分けの課題とともにある。

「仮面ライダー」「タイガーマスク」の連載は『少年マガジン』に引き継がれ、ともにこの昭和46年の最後の号で完結した。
『ぼくらマガジン』の中で産声をあげた「仮面ライダー」は、当初はあまり人気が出なかったが、『少年マガジン』に移行して後、人気に火がついた。よく言われるとおり、テレビ放映が、スタート時の暗い雰囲気を修正した点もあるだろうが、そもそも石森章太郎(石ノ森章太郎)のスタイリッシュな画面構成が魅力的だったのだ。

『ぼくらマガジン』は「仮面ライダー」を盛る器として全うすることはできなかった。だがこの年の終わり、まさに「仮面ライダー」人気によって生まれた雑誌『テレビマガジン』が創刊され、このあと「仮面ライダー」の栄光を支えてゆくことになるのだった。

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