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5 良いモノですよ、これは高いですよ、まけませんよ
わたしはどうしても、ひとつ訊いておきたいことがあった。
・・・さってさんはどうしてセイントクロスをそんなに早くから推したんですか?
結果的に『フィギュア帝国2』が当たったからよかったものの、クロスにいち早くプレミアをつけて売るさってさんは、当初は馬鹿だとたたかれ、値上がりしたらしたで、うまくやったなとくさされた。
「うーん、良いものなのはわかってましたからねえ、売れないはずがないと思ったんですよ~」
・・・でも売れなかったら?
「自分の好きなものが認められないわけがない。もし売れないなら死ねばいい。そう思ったです」
いつも柔和なさってさんが、思いがけないほど強い言葉を口にした。
当時、古物市場で、聖闘士星矢大系に関心を示す者は皆無だった。遠い過去の品ならまだしも、なまじ近い過去だから、ひどく中途半端で宙ぶらりんだった。
よその店ではせいぜい1000円。こまかい部品が幾つも欠け、パーツを繋ぐランナーが切れている、クロスはそんな状態で無造作に投げ売りされていた。そもそもそこまで完全にという意識自体が定着していなかった。
さってさんはそれらを片っ端から買い集めた。欠けた部品は補い、ランナーの切れも厳しく点検し、完璧に揃えて高値をつけた。新品なら1万円を譲らなかった。
「売れなかったじゃない、売らなかったです」
安けりゃゆるさんと言う構えだった。こんなに良いモノが価値のないはずはない。そう言って、セイントクロスが評価されない世界を容認しなかった。何年間もそれを続け、気が狂っていると人に言われた。
(香港版)
さってさんは言う。
「いま、モノを所有する楽しさが薄れてきている気がするんですよねえ。
みんなネットで値段を手軽に調べて、こっちが安い、あっちが高い、って情報で動くでしょう。安いか高いか、そういう情報ばかりが先行している」
「これはレアですよ、価値がありますよ、はあるけれど、これは良いモノですよが少ない。モノが好きなんじゃなくてお金が好きなんでしょうか。昔はモノを持っていると、ただもう嬉しかった。でもいまは、みんな手に入れては売ろうとする。モノを持ってるのが不安なんでしょうかねえ」
セイントクロスをどうして推そうと思ったのかというわたしの問いに、さってさんは結局最後まではっきりした答えを言わなかった。 要するに理由といえる理由はなかった。ただとにかく、一目見てすごいと思った。見た瞬間から好きだった。中古市場で誰も見向きもしない時期でも、その気持ちはずっと変わらなかった。価値を信じて譲らなかった。
「いいモノですよ、これは高いですよ、まけませんよ。そうやって高値をつけて、みんなに馬鹿だと言われながら息を止めて我慢していました」
売れなかったらずっと我慢していただろう。
思うに、さってさんのあの言葉「メッキは子供のおもちゃには必須です」、たぶんあれは、さってさんの内なるちびっこが発した言葉だったのだろう。
そのちびっこが、セイントクロスというぴかぴか光る玩具に問答無用で惹きつけられた。
大人のさってさんは、それを一生懸命集め揃えて高値をつけた。
それは魂の値段だった。
6 徹底してそのモノの側につく
それではここで、『フィギュア帝国2』19ページ、クロスについて書かれたチャーミングな解説文をお目にかけよう。
これはさってさんが書いたもので、かれの文章の癖がそのまま出ている。少し長いが全文引用したい。
お読みあれ。
「人形+アーマーのシステムが、聖闘士聖衣からクロスと総称される様になった!
クロス(CLOTH)と云う名を初めてオモチャに使用したのが、セイントクロスシリーズであり、以後バンダイは、アクションフィギュアにアーマーを着せていくタイプのオモチャをクロスと総称する様になった。
このクロスTOY系のシリーズには(バンダイ以外の製品も含めて)評価にはまだこれからの名作TOYがゾロゾロあるのが特徴だ。ウィンスペクター、ハイパーショウ(注 ブルースワット系)、ライダー系、SDのガンダムクロス等もイイ出来だし、何と云っても、クドいがスパイラルゾーンのシリーズはこのフィギュア+アーマーと云う意味においてプラ製品の最高峰のシステムであると断言できる。素材、デザイン共に素晴しすぎる内容だ。コレは見つけて、値段に納得がいったら是非、即買いをオススメする。パーツがかなり多いので欠品には注意!」
さってさんのこの文章が、わたしはほんとうに好きだ。
この文の中には、おもちゃを勧める、おもちゃを手に入れるということの本質、そのピュアで可愛い気持ちが詰まっている。「評価はまだこれからの名作TOY」とあるくだり、世間の評価はまだだが名作は名作なんだという断定がいい。「値段に納得がいったら」という言葉がまたすてき。
値段とはつまり数字でなく、自分が納得ゆくかゆかないかなのだ。
『フィギュア帝国2』の目次にはこんな言葉が載っている。
「特撮を、超現実映像を希求する心は、平和を望む者の心なり!夢は愛と平和の為に見る物なのだ!
おもちゃに夢を馳せる。そして、その夢を通し、愛と平和を考える!」
同じような表現は、この本の裏表紙にも見える。
「夢は平和のために見るのだ! 古き良き時代の夢に学ぶ」
これはこの本作りの総帥である優れた編集長、白夜書房の田村さんが記した言葉である。
裏表紙では、宇宙空間を、例のえせマジンガーに劣らない変な顔をつけた宇宙船が進んでゆく。
後方には色とりどりの小さなソフビ人形たちが並んでいる。変な宇宙船はかれらに見送られながら星のまたたく宇宙空間を進んでゆく。
おもちゃの持つ本質的な力は、救済の力だ。
この小さな懐かしいモノたちを心にいだき、かれらに見守られながら人は進んでゆくのだ。
田村さんの言葉は時代を貫いて、現在のわたしたちをいよいよはっきり照らしている。
すべてのモノに値段がつく時代、モノがパワーを無くしたとされるこの時代、本当のところおもちゃの値段とは何か。おもちゃを売買するとはいったいどんな行為なのか。
誰もがこの場所から逃れられるはずもない。
それでも、たとえばさってさんがセイントクロスに対してやったようなこと、ただ魂をこめて売り買いすることが、この世で徹底してそのモノの側につく旗を掲げることではないかと、ふと思う。
その旗の立つところ、モノは今なお不滅であり、わたしたちは何かが勝利する世界を生きている。
< 2017年1月 >