昔のテレビガイドを見るのが好きだ。
バックナンバーを何冊も見ていると、そのとき放映していたドラマの光景がよみがえってきて懐かしい。
番組ガイドでは、ドラマは開始時かなり綿密に、ラストは総じて簡素に扱われる。まったく触れられないこともある。自然な流れではあるのだが、ドラマガイドがどれも最後になるにつれて情報が薄くなってくるのがふと目に留まる。過去の紙媒体として眺めると、それを寂しく感ずるときもある。
NHK朝の連ドラ「カムカムエヴリバディ」(2021年11月1日~2022年4月8日放映)は面白かった。
ラジオ英語講座を軸として母娘孫三代をえがいたドラマで、とりわけ誤解の末生き別れとなった母娘、安子とるいが無事再会し和解できるのか、ラストが近づくにつれて視聴者の興奮も高まった。
最終週は怒涛のような伏線回収、見終わった後の納得と感動。朝ドラ三本の指に入ると評する人もいる傑作となった。
ちなみにこの「カムカムエヴリバディ」は、特にラスト2週の情報や写真資料が非常に少ない。
NHK朝ドラは、だいたい放映中にパート1、パート2と、ドラマガイドが2冊出版されるが、ドラマガイドでは、ストーリーも含め、最終1カ月半ほどの内容は触れられない。「メモリアルブック」なるものにも後半の情報は入らない。「カムカムエヴリバディ」の最終週は、NHKの番組ガイド『ステラ』でももちろんストーリーはぼかされて、おまけにこの号のメインは新しい朝ドラ「ちむどんどん」だった。
ラストの問題解決と伏線回収に向けて、ネタバレ回避のきびしい情報統制が敷かれていただろうから、まったく無理からぬことなのだが、最終週の白眉のシーンの数々を思い出すと、この資料の少なさを将来自分は寂しく思うことだろう。
昭和40年代後半、特撮番組の全盛期、それらの特撮をつねに扱っていた雑誌は、次のようなものだった。
『TVマガジン』『冒険王』『TVランド』。
ほかに小学館の学年誌や幼児向け雑誌がある。
どの雑誌も特撮番組の扱い方は共通している。
スタート時は華々しく、ラストになるにつれて手薄になってくる。
当時、少年誌はテレビ番組と連携して、番組ガイドとしても機能していた。
当時の情報を確認する紙媒体として見ると、最終話の情報が写真もなくコミカライズだけという状況になるときもある。新しいものに目が向くちびっこだから扱いの変化も当然だが、さすがにこの落差はどうなんだろうと思ったりもする。
ちなみに「仮面ライダー」はちょっと特殊な事情をもつ。
なにしろカルビースナックの仮面ライダーカードが存在するのだ。
この497~546番、すなわち最後の50枚が最終2話を扱っており、写真も情報もふんだんだ。
しかし残念ながらこのラスト2話の時期、当時のちびっこたちの関心はすでに新商品「カルビースナック仮面ライダーV3」に移っており、ラスト50枚を目撃したちびっこの数は、めちゃ少ないのであった。
さて、こうした中で『冒険王』昭和48年(1973年)4月号の存在は、きわめて異例である。当時の少年誌の中で「仮面ライダー」最終話をこれほど大々的にとりあげ、きっちり紹介した雑誌はほかに無い。
この『冒険王』、前号の3月号はちょうど「仮面ライダー」最終2話が放映された昭和48年2月初めの発売だったが、「仮面ライダー」の情報は皆無で、その結末には見向きもせず、新番組「仮面ライダーV3」の紹介に終始していた。
しかもそこで紹介されたV3の写真はなんとNGバージョンで、その2週間後ちびっこたちがテレビで目にした新ライダーは別物だったというオチまでつく。
ところがその次号、つまり昭和48年4月号。
表紙のメインは前号同様「仮面ライダーV3」、グラビアもV3。
ところがびっくり、さらにページをめくると「仮面ライダー」最終話が4色グラビア3ページで紹介されているのだ。また4色の図解特集では、ゲル・ショッカーの最終怪人ブラック将軍の正体ヒルカメレオンの図解が見開き2ページで掲載されているではないか。
当時「仮面ライダー」を扱っていた少年誌はほかに2誌。
そのひとつ『TVマガジン』4月号に「仮面ライダー」の扱いはない。
『TVランド』は「仮面ライダー」の2年間を振り返る特集を組んだが、いかんせん1色で、最終話の扱いもごく一部にすぎなかった。
『冒険王』の「仮面ライダー」最終話の取り上げ方は、何十年も経て振り返ってみたとき、きわめて鮮烈な印象を与える。それはテレビ番組との関わり方に対する当時の少年誌の常識を超えており、歴史に残る編集と言うことができる。
ちなみに、講談社刊行の絵本26『仮面ライダーV3』も、仮面ライダーとゲル・ショッカーの最終対決を扱っており、幼児向けながら最終話の雰囲気を味わうことができる。仮面ライダーカードも絵本も復刻されていることを言い添えておきたい。