1972年3月初め、ぼくは本屋におかれていた『別冊少年マガジン』4月特大号の表紙で、変身忍者嵐の実写版のすがたを初めて見た。それは「ハリスの旋風」の石田国松のすぐ隣で、堂々とした勇姿をみせていた。
中を見てみたいと気ははやったが、当然ながら2か月前のお年玉はとっくに消し飛んでおり、別冊の160円を捻出できるはずもない。頭の中で何度も反芻する実写版の嵐は、漫画版の嵐とまるで同じだった。
その半月前、週刊『少年マガジン』1972年3月5日号で、ぼくは石森章太郎「変身忍者嵐」という作品を知った。まったく常ならぬことながら、ちょうど700号記念号というので父が買ってきてくれたのだ。連載第2回目だった。
さすが石森章太郎、全体を覆うおどろおどろしい雰囲気、迫力満点の戦闘シーン。特に「仮面ライダー」をそのまま時代劇にしたような展開が、時代劇好きのぼくを興奮させた。
いかんせん第1話と前後編ゆえ、前半部分がわからない。ぼくは思いついて伯母のやっている喫茶店に行き、首尾よくその前の号を手に入れて、第1話からつなげて読んだ。なんという素晴らしさ。頭の中をハリケーンのごとく「変身忍者嵐」が吹き荒れた。
『別冊少年マガジン』4月号の表紙で実写版の変身忍者嵐を見たのは、ちょうどそんな時期だった。3月5日号の「嵐」の扉に「四月からテレビ放映決定!!」とあったのが、現実に目の前に現れたのである。
ちなみにその頃の『別冊少年マガジン』は「ハリスの旋風」「巨人の星」「あしたのジョー」など再録作品の掲載がメインだった。そこに「変身忍者嵐」の実写すがたが登場したのだから、ぼくならずとも目を惹かれたに違いない。しかも72年3月時点、少年誌で、この嵐の実写を表紙にしたのは、この『別冊少年マガジン』1972年4月春の特大号と『冒険王』の2誌だけだった。
さらに『冒険王』では快傑ライオン丸の脇にまわってサブの扱いなのに対し、こちらの表紙では完全にメイン。内容は「吸血紅こうもり編」・・・人の血を一滴残さず吸いつくす、こうもり忍者の「音手裏剣」に苦戦する嵐。中身も40ページの特別版で、扉含め6ページが4色という豪華さだ。描き手は本編同様、もちろん石森章太郎。
さて『変身忍者嵐』は、『たのしい幼稚園』や『おともだち』連載のものを除けば、『少年マガジン』連載バージョンと『希望の友』連載バージョン、そのほかに『冒険王』『テレビマガジン』『テレビランド』のコミカライズがある。
当時は『少年マガジン』版が朝日ソノラマのサンコミックス、『冒険王』版が秋田書店サンデーコミックスで単行本化されたが、平成になって大都社で3バージョン、『少年マガジン』版が「変身忍者嵐」、『希望の友』版が「新 変身忍者嵐」として、また『冒険王』で石川賢が連載していたコミカライズが「外伝 変身忍者嵐」として、それぞれ刊行された。だがこの『別冊少年マガジン』の1972年4月号「吸血紅こうもり」編は、どこにも収録されなかった。
大都社、3種の「嵐」
現在この「吸血紅こうもり編」は電子書籍、kindle版『石ノ森章太郎 デジタル大全』で読むことができる。だがこれほど力のこもった石ノ森章太郎作品で、紙の印刷が無いのも珍しい。
『別冊少年マガジン』1972年4月号は、この「変身忍者嵐」吸血紅こうもり編唯一の紙媒体である。それと同時に、「嵐」のテレビ放映スタートが、当時最も大きなリスペクトをもって扱われた雑誌として、「嵐」ファンには外すことのできない一冊なのだ。表紙の実写版「嵐」の半身像はまさに威容。ぼくが頭の中で何度も何度も反芻したその姿は、今なお衰えぬ迫力でぼくの心をときめかせる。