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9 やめられない。何か買うんだよ ~ 東京水道局「ゴミラ」
「ほしいなほしいな、いろんな人に言って。でも金がないときにモノが出てきたらどうする?キャッシングで借りてきてまで買うか?ストッパーは年がら年中外れてるけど。じゃ、それは本当にほしいのか?」
Hさんは自分に問いかけるように言う。
「今は旅行はホントの旅行よ。温泉入ってさ、料理食べてさ。ビビッとくることもあまりない」
「怪獣も妖怪も高いな。高くなったな。ずっとこんなことをやってられるのか。破滅じゃん。でもお前はやめられないんだよ。何か買うんだよ」
誰かのコレクションを見ると欲しくなった。人がやってるのを見ると欲しくなった。
「おかしくなっちゃう。自分でもわからない」
欲しいという思いは燎原の火のように広がり、自分自身を焼き尽くした。
伸び放題に伸びた興味関心の枝を、いまは何百本も切りながらやっているというHさんに、ではどのジャンルが残るのかと訊いた。
「食玩とノートは飽きないね」とHさんは言う。20年以上やっているけど、いまだに見たことないものがバンバン出てくる。
原画だのの紙モノは、数年前まんだらけを呼んですべて処分した。だが一部屋を空にしたのもつかの間、ふたたび部屋は満杯状態。Hさんはそう語り、若干の絶望をにじませる。
ショウワノート 鉄人28号
Hさんが持ってきてくれた一品は、東京水道局のキャンペーン・東京スリムのゴミラというキャラクターだった。
「これを見ていると、なんかいいんだよなあ」
しみじみ、と形容するしかない口調でHさんは言う。ゴミラの写真をわたしは何枚も角度を代えながら撮った。ゴミラは好奇心の強い小鬼のような顔をしている。欲しいものができたらきっと夢中で突進してゆくに違いない。
10 モノの世界ではみんな同じところにいる
Hさんの話を聞いていると、モノ以上にそれらの並んだ空間というものが、常にイメージの中央に位置しているのに気がつく。或るテーマのもとに集められたモノたちの空間、それを見るといつもぞくぞくした。そのモノたちで身の回りを埋めつくして暮らしている、そういう暮らしの中に入りたいとHさんは思う。おびただしいモノを並べた部屋は、それぞれがひとつの独立した世界となっている。その世界の中へ入りたいとHさんは思うのだ。その場所はいつも輝いている。
雑誌「POPEYE」は、アメリカ西海岸の生活スタイルを日本のシティボーイに向けて発信し、絶大な影響を与えた。モノをカタログのように並べて見るカタログ文化を浸透させたといわれる「POPEYE」だが、編集者たちには、モノを紹介すればそれが記事になる、モノが事件になるという新しい確信があったという。
シティボーイにはほど遠いHさんも、時折「POPEYE」を読んでいた。97 年頃からは定期的にインテリア特集が組まれ、いろんな人の部屋が登場した。趣味の品で埋め尽くされた部屋も多かった。Hさんはそういう部屋から部屋へ、世界から世界へと、ずっと旅をしてきたのだった。
「モノを通していろんな人に会った。普通ならつき合えないようなすごい人とも会ってきた。偉い人もそうでない人も、モノの世界ではみんな同じところにいる」
誰かの空間を見て好きになり、あるジャンルにハマりこむ。それを探していて本当の難しさに突き当たった頃、ビビビッと次の波がきた。憧れはうち寄せては引き、またうち寄せた。
「脈打ってるの」
Hさんはそれを鼓動にたとえて言う。
ときめき続けて生きてきた。
バブル終焉とともに始まった平成が終わる。経済の長い低迷と明日への不安は、人々のモノへの関心を大きく変えたようにみえる。おもちゃも原画も、すでに資産価値の言葉なしには語れない。
活発な人付き合いと売買とに明け暮れてきたHさんだが、その道にはいつもどこか孤高の匂いがつきまとっている。世間の動きに顧慮しない、それはまぎれもないマニアの匂い。Hさんを通してわたしは憧れという香気を深く吸いこむ。
モノを持つことは輝かしい。追い求める思いは果てしない。モノに囲まれている人は世界を所有する人である。ときめき続ける人生こそは、生きるに甲斐あるものである。
了(2019年4月)