Contents
3 ビリケン商会から下北沢へ ~ マルサンという未知の世界
当時、1980年代後半、おもちゃ屋のメッカは下北沢だった。高田馬場のねずみ小僧が下北沢へ移転し、ヒーローズと改名する。スチャラカ商会(オムライス)、おもちゃ天国2丁目3番地、懐かし屋。Hさんは青山のビリケン商会へ行った後、下北沢に移動して古いプラモデルをあさっ た。記憶に残る初買物は、2丁目3番地でのV3号2,000円。Hさんが子供の頃からなじんでいたプラモはブルマァクとイマイだった。だが月刊『ホビージャパン』の或る連載が、Hさんに大きな衝撃を与えていた。
「Antique Kits Selection」は1983~85年、『月刊ホビージャパン』誌上に小田雅弘氏が連載していた人気コーナーである。
1984年1月号、この「Antique Kits Selection」第13回は、マルサン/マルザン電動大怪獣の特集だった。福島のコレクター西村祐次氏の全面的資料提供のもと、鮮烈な怪獣プラモが続々とカラーページに登場した。ここにマルサンという未知の世界が広がっていた。「なんじゃこれは。ビビビッと来た。こんなの見たことねえぞ。こんなものがあるのか」
マルサンの電動怪獣なる大問題にHさんはとり憑かれる。だが電動怪獣は当時でも高額で、若者が容易に手を出せるものではなかった。自分でまわれ、出てくるから。そう言ってくれたのは確かビリケン商会だった。その助言を受けてHさんは、地方のおもちゃ屋をしらみつぶしにまわりはじめた。
古い電話帳をめくって情報を集め、店をまわる。地方のおもちゃ屋、文房具屋、問屋。専門学校に入ってバイクの免許をとると行動範囲はぐんと広がった。よさそうな店を見つけても、入り込んで倉庫まで見せてもらえるようになるには1~2ヶ月かかった。Hさんはお酒だの菓子折だの奥さんの化粧品だのを店に持参した。「最初から入り込もうだなんて、甘いんだよ」
我ながらあざといと思う手土産作戦は、実際、嫌がられたこともあったという。だが喜んでくれる店主もいた。80年代後半、時代はまだ古いおもちゃの価値に覚醒しきっていない。だがハンターたちはとっくに活動を開始しており、Hさんの前には、既にそこへモノを探しに来たいろんな人の名刺が残っていた。一度入れるようになったらその店に通い詰めた。倉庫には、奥へ追いやられた古いモノたちが、日常の生活用品とごちゃまぜに詰め込まれている。Hさんは荒らさないよう丁寧に見た。倉庫の掃除も手伝った。
「お店の人に嫌がられないようにしないとさ。嫌がられたら次の人も入ることができないよ。前の人が嫌なことをやってたら、もう誰も入れないよ」
お目当ての電動怪獣はなかなか出てこない。だが目の覚めるような品が眠っていて、それらを安く譲ってもらえたこともあった。これは店の意識の薄さというより、Hさんが細心に築いた信頼関係ゆえだったろう。モノのため以上に、Hさんには生来人の気持ちを大切にする気質があった。それらの品を下北沢に売って元手をつくり、Hさんは再びプラモを探し続けた。
4 ヒーローズで電動怪獣ぺギラを買う ~青春真っ盛り。水着の女は眼中にない
掘り出し物をいっぱい持ってくる青年がいる。そういって顔なじみの店主がHさんを他のコレクターに紹介するようになった。そこからまたモノを入手するルートが拡大した。ヒーローズにブリキのおもちゃを持って行き、それと交換でマルサンの電動怪獣ペギラを入手したのが90年代初頭のこと。そのときペギラは18万円だった。懐かし屋で電動ブースカ6万円。
友達と旅行へ行って、海沿いをドライブする。Hさんは外を見ながら「店はねえかな」ときょろきょろしてしまう。おもちゃ屋があったらそこに入って、何時間も入りっぱなし。いったん入れば最後まで見なきゃ気が済まなかった。 「水着のお姉ちゃん見に行ってるんじゃねえんだ」とHさんは言う。
友人たちはナンパをしに行っている。Hさんはひとり、一心不乱におもちゃハンティングをしている。おかしいよお前の頭は、友達はそう言ってHさんからどんどん離れていった。
「おまえは健全じゃねえ。お前と行っても楽しくない、って友達みんないなくなっちゃった」
Hさん青春真っ盛り、だが水着の女も紅葉も温泉も眼中になかった。ホテルにも帰らずモノを漁った。
5 古雑誌に目覚める ~久々に来ました、盛大なビビビビビ
90年代前半、Hさんはワンダーフェスティバルで或るプラモ屋さんと知り合った。これがHさんの問題多き人生に、さらに拍車をかけることとなった。
東十条の店を訪ねてゆくと、店先に古い雑誌がずらりと並んでいた。60年代からさかのぼって、戦前戦後の雑誌やふろく、月光仮面の表紙など、見ている内にHさんはわくわくしてきた。「なんじゃこりゃあ。こんなの見たことねえぞ。こんな世界があるのか」
久しぶりに来ました。盛大なビビビビビ。
実はプラモ熱が若干醒めかけていたのだ。ここでHさんは古い雑誌に開眼し、『少年』『ぼくら』、もっとさかのぼって『少年倶楽部』のハンターと化す。そこから発展して貸本へももぐった。「鬼太郎夜話」「妖奇伝」・・・90年代前半、まんだらけが最初の目録を出し始めた時期だ。Hさんは古雑誌の店を夢中でまわり出した。
月刊少年誌『ぼくら』1968年2月号
Hさんは言う。「みんなは子供の頃買っていたもの、欲しくて買えなかったものを買っている。でも俺は子供の頃買ってないものを買っている」
子供時代満たされなかった飢えから出発するコレクターは多い。当時買ってもらえなかったとか親にお宝を捨てられたとか、そんな経験から蒐集にのめりこんでゆく。
本当は仮面ライダーとマジンガーZを買えばよかったのだ。ライダー物と超合金がHさんのちびっこ時代の夢だった。だが心底ビビッときたのは、それらではなかった。
他の人の集めたモノを見て、なんだろう、こんなのがよく集まるなと思う。
「なんだこれは?なんだか俺にはわからないけど、なんかいいな。そうなるともうおかしくなっちゃう。自分でも止められない」
懐かしむのではなく、未知のものに憧れた。こんなのがあるのか、という発見の驚きにいったん巻き込まれると、もうどうにもならなくなった。
「イベントで仲良くなって遊びに行って、いろんな人の家を見る。こんなによく集まるな、極めるってすごいもんだな、って思う。人が珍しいモノを持ってると欲しくなる。コレクションを見ると欲しくなる」
東十条の店主は興味関心の広い人で、アメコミのコレクターでもあった。棚にバットマンやスーパーマン、さらにディズニーの絵本なども並んでいるのに影響され、Hさんは英会話を勉強して一路サンフランシスコへ飛ぶ。アメコミを物色するかたわら、向こうのおもちゃ屋でバットマンの人形をほじったり、アイディアルのキャプテンサイボーグシリーズをしとめたり、ああもう、どんどん沼地へおちてゆく。