或るコレクターの遍歴~超合金からノベルティグッズまで/ Mr.Hインタビュー

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 プロフィール

 

 Mr.H      1967年生まれ コレクター

 

東京水道局のキャンペーンキャラクター ゴミラ

 

 

 話を聞かせてほしいと頼むとHさんは「このブログは名前を出すからなあ」とぶつぶつ言った。
「いや、匿名で十分です」とわたしは言った。
「今までも匿名のかたはいらっしゃるし」
そうやって了解をもらったが、エピソードを書いたら知り合いにはHさんのことだとわかってしまうだろう。何しろHさんの逸話は一度聞いたら忘れられないものばかりだし、しかもHさんの知り合いときたらおそろしく多いのだ。

 1 Hさん紹介~とにかくモノを買う人 

 

 Hさんの特徴をひとことで言うなら、とにかくモノを買うひと、というのがよいだろうか。ジャンルはいろいろ。超合金から雑誌まで興味の分野は超人的な広さを誇る。

 ある日のHさん、ヤフオクに探しモノが出ているのを発見し、勢い込んで入札した。ひとり、しぶといライバルがいてなかなかあきらめない。むきになって次々高値をぶちこみつづけ、尋常ならぬ値段で、その品をせり落とした。

 だが勝利の余韻にひたるまもなく、悲しいお知らせがその耳に届く。実は激戦を繰り広げたそのライバル、Hさんがモノ探しを依頼した知人であった。Hさんの欲しがるモノを落札しようと彼もまた一歩もひかず高値をぶちこみ続け、ふたりでし烈な高値更新を戦った。・・・撃沈。

「名づけてこれをHさんのひとりオークションと呼びます」と知人A氏は証言する。

                 *

 前のめりにモノを買い続けるHさんの武勇伝は尽きない。だから今までニセモノの被害にもずいぶん遭っている。
 知人から買った横山光輝の鉄人28号の原画は、和紙の表装がいたんで色紙に貼り直してあったが、これが真っ赤なニセだった。
「まんだらけ副社長(※ 当時。現・社長 2021年現在)の辻中さんが持ってって、社長(※ 当時。現・会長 2021年現在)に見せてくれた。何で買っちゃったのこんなの、って古川社長に言われたってよ」
「へええ、値段はいくらなんですか」
「21万」
 21万円!わたしは腰を抜かした。
「それで、その売り手には言いました?」
「言ったよ。でもオレが悪いんだよ。取引は成立してるんだから、言ったってダメだよ」
 わたしは諦めきれずうだうだ言ったが、Hさんはきっぱり、いさぎよかった。
「悪意のない第三者がニセモノを買って売りに来てるってのもあるんだよ。高いの買っちゃったけど、しょうがないよね、ってことだよ。だからオレが悪いんだよ」
 そんなものなのだろうか、とわたしはまだうだうだ考えた。さすが長年売買の戦場に立ってきた男は腹がすわっている。

Hさん。獲物を狙って数十年、幾多の死闘を経てきた歴戦の勇士。身には無数の刀傷。胸にはロマン、腕にはおもちゃ。姫に焦がれるようにモノに焦がれて道なき道を進んできた。これは果てしのない情熱の物語。

 

画像はまんだらけ・那由多(池袋 P’PARCO)控えめに言っておもちゃの要塞

 

 2 コレクターとしての出発 ~仮面ライダーカード、超合金、ポピニカ、そしてガンプラ

Hさんは1967年、堅実な両親のもとに長男として生まれた。マニアっ気はみじんもない家庭だったが、Hさんは駄菓子屋の世界に生来惹かれる癖があった。1972年、このちびっこが初めて人生上の大問題に突き当たる。


1972年はすさまじい年だった。 前年末、仮面ライダースナック発売。人生初の大問題はおまけのカードだった。全国のちびっこにとって駄菓子屋戦国時代の幕開けであったこの年、Hさんは痛恨の5歳。世界は弱肉強食であった。もっと上の年齢の子がどんどんカードを買ってゆく。小さなHさんはちょびちょび買った。

再び大問題が起きる。 ポピニカ。そして1974年、初の超合金「マジンガーZ」発売。  

仮面ライダーカード、超合金、ポピニカ。もはやちびっこの手に負える事態ではなかった。

ここでおばあちゃんが威力を発揮する。おばあちゃんは孫に大甘で、ねだれば高いおもちゃも買ってくれたのだ。Hさんは得意満面、買ってもらったおもちゃを棚に飾った。
「おやじが見て、なんでこんなものを持ってるって怒ってさあ。そうなるとおばあちゃんも買い控えだよ」
事は仮面ライダーカードでも同じだった。Hさんはおばあちゃんに頼み込み、仮面ライダーV3カードで念願の箱買いを果たしたが、例によってお父さんに発見された。
「カードを束で持ってたらおやじに怒られて」
おばあちゃん投入、お父さんにばれて叱られる。幼児にして問題山積、Hさんの波乱の人生はここにスタートした。

堤哲哉『日本懐かしカード大全』  ちびっこが心おどらせたカードが満載

 

 さて、未就学の頃から大問題をかかえたHさんは、おもちゃ屋3軒はしごして帰る小学生に成長していた。いざとなるとおばあちゃんを投入する。おばあちゃんは相変わらず孫には甘かったが、たびかさなる超合金の発売に辟易、「ロボコンが出たときは、ばあちゃんもさすがに怒った」と不肖の孫は回想する。
1980年、Hさん中2の年、世間はガンプラブームに沸いた。Hさんもご多分に漏れずこのブームにハマった。ホビージャパン『How to build Gundam』を買って、ガンプラ作りにいそしむ毎日。これがきっかけで『月刊ホビージャパン』を買い始めたHさんだったが、ここで古いプラモデルの魅力に惹かれるようになった。知り合いの模型屋さんから、青山のビリケン商会で古いプラモを売っていると聞き、Hさんは青山にかよい始めた。高校三年生の頃だった。

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