今週の逸品4 水木しげる『ベトナム戦記』(サンコミックス 第2版)
「サンコミの『ベトナム戦記』は出にくい」
・・・・・・いつ聞いたのか、誰から聞いたのか、まったく覚えてないが、いつの間にかその言葉は、古本漫画をさがすぼくの心の中に刻み込まれていた。
サンコミはサンコミックス。朝日ソノラマ社発行の新書版漫画単行本だ。新書版は、それまでの単行本ほど大きすぎず、文庫ほどは小さくない、子どもたちにちょうどいい大きさで、昭和40年代から現在に至るまで漫画単行本判型の主流となっている。
その新書版の中でもサンコミはひらくと本が割れやすく、割れれば背糊からページが剥がれて抜けやすい。要は完全な形で残りにくいのだが、その中にあって藤子不二雄『海の王子』と水木しげる『鬼太郎のベトナム戦記』は、マニア垂涎の幻の単行本だった。とりわけ『ベトナム戦記』は、大の水木しげる愛好家で知られる京極夏彦に「手に入れるのに最も苦労した一冊」と言わしめた希少品だ。
今でこそあまり漫画を扱わなくなったが、昔、そう、21世紀に入る前あたりまで、古本漫画の取り扱いといえば八王子の佐藤書房だった。
その佐藤書房に初めて行ったときのこと、『キャプテンウルトラ』の単行本全2巻(曙出版)を発見した。是非にと思ったが高い。持ち合わせもなかった。クレジット決済も対応外で困っていたところ、隣のおやじがそれを指さして「これ取り置き、いい?」と訊いているではないか。「いいですよ」と店の主人もあっさりしたものだ。
なあんだ、それじゃ取り置きしてもらえばよかった、と思ったちょうどそのとき、目に入ったのが幻のサンコミ『鬼太郎のベトナム戦記』だった。「ワレ補修」の状態記載はあるが全く問題ない。ぼくは速攻で「取り置きお願いしますッ」と飛びついた。
初版表紙
そうやって手に入れた『ベトナム戦記』だったが、当の内容はというと、子どもたちには受けなかっただろうなという印象がまず強く来た。
敵の妖怪は現れず、米軍相手に締まらないことおびただしい。活劇らしい活劇は無くて、戦争の悲惨さばかりが目に付く。大人の目で見れば読み応え十分の名作だが、なるほど、それで売れずに、発行部数も少なくて幻となったのか、と思うことしきりだった。
さてそれから何年か経った頃、再び佐藤書房で『ベトナム戦記』の話を聞いた。当時ぼくはいろんな古書店をさがして、最初の『ベトナム戦記』より状態の良いやつを手に入れていた。
その日、佐藤書房ですでに或る程度顔なじみになっていた店の人と話し込んでいたとき、「『ベトナム戦記』ありますよ」と言われたのだ。
「再版ですけど」
「え、再版?」
思わずぼくは訊き返した。『ベトナム戦記』の再版なんて初めて聞いたからだ。
出されたのを見ると確かに巻末には「昭和45年12月10日2版発行」。
通常、初版と比べて再版は価値が下がる。特にサンコミは初版につくカラー口絵が再版にはつかないから、倍も3倍も値打ちが変わったりする。水木しげるのサンコミの短編集は初版と再版で収録作品が若干異なるものもあるが、それでも初版のほうが高値である。
初版カラー口絵
しかし、しかしだ。初版でさえ数が少ないこの作品の再版があるなんて、ぼくは想像もしていなかった。初版発行は昭和44年、いかにベトナム戦争の最中とはいえ、全然子ども向きでないこの漫画の単行本が重版されたとは思わなかった。
さっそく初版より安価な再版『ベトナム戦記』を購入し、中を見る。もちろんカラー口絵はついていない。口絵のつかない『ベトナム戦記』の存在は、地味で暗いこの作品が実は思っていたより当時のみんなに受け入れられていたことの証なのだ。
ベトナム戦記再版カバー。背に星印。値段も違う
(ちなみに、カバーだけ再版の可能性もあるため、本体も見ないとわからない)
2版にカラー口絵はついていない
21世紀になって二十余年、まんだらけを始め有名な漫画古書店ならどこでも『ベトナム戦記』を見かけるようになった。値段もぼくが手に入れた時の半分か3分の2、ぐっと安くなったものだ。そしてどれも状態表記に「初版 カラー口絵」の文字がある。
ぼくは再版『ベトナム戦記』を店頭であの一度しか見ていない。
おそらく値段はさらに安いだろう。今度会ったらまた買って市場の数を減らしちゃおうか。そんなことを考えながら、ぼくはきょうも幻の再版『ベトナム戦記』を求めて古書店をまわっている。