マニアの妻として生きてきました。 親兄弟からは不憫そうな目で見られる。 まともな暮らしじゃないとけなされる。 旅行には必ずレア物探しがついてくる。 カードをはがしたポテトチップスを何ヶ月間も食べ続ける。 振り返れば確かに日常生活としては、ほぼマイナスしかなかった、と断言できます。
子供もおらず、諸事おおざっぱな性格なので、他とは比較のしようもないのですが、とにかく家が狭いのには参りました。 トイレにまでモノがぎっしり。 寝るときも頭上にそびえる本の山。 3・11の震災の折は運よく遠出していたものの、帰宅してみたら倒れた本棚が幾重にも折り重なり、部屋中が本で埋まっていました。マニアの妻も命がけであります。
とはいえ、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし何によりてか目を喜ばしむる。 どうせ家なんかと思ってみれば、モノに対する亭主の異様な執着がむしろ珍しく、「これは見る用これは保存用これは交換用」などの世迷い言も珍獣の鳴き声に聞こえてさほど腹も立たず、そのままずるずる共存してきました。
ただその震災のあたりからですが、自分でも少し新しいものを知りたいという不思議な欲求に駆られ、昨年、一念発起して亭主がよく通っているまんだらけでアルバイトを始めました。 周知のとおりまんだらけは、古いマンガなどを売買する古物商です。扱う品は多岐にわたり、マンガ、アニメ関連商品、プラモデル、フィギュア、ソフビ、超合金、カード、ドール、ゲーム、同人誌、アイドル関連グッズなどなど・・・。主に戦後ニッポン消費社会の中で生まれたサブカルチャーの品々を商う、業界最大手です。
わたしはへぼで失敗だらけのレジ打ちをしながら、このサブカルの殿堂に日々モノが流れこみ、そしてまた流れ出てゆく様子を眺めています。 思えば源氏物語も平家物語も、和歌でさえ、当初はサブカルチャーでした。時折あの震災のときの、放射能で無人になった村に満開の桜が咲き乱れている光景が頭をよぎり、そのたびに次の時代に残るものは何だろうと思います。そうやって過ごしている内、売る買うということの中には、そのモノを次代へ生き延びさせようとする戦いもあることに、気が付きました。
そこで改めてかえりみると、自分の周囲には、亭主を含めてそういうことをしてきた人たちがたくさんいました。人生を賭けてモノの価値を信じ、価値をつくり、そのために人生を踏み抜いてしまうような人たちです。わたしはその人たちに話を聞かせてくれと頼みました。かれらの魂を震わせるモノへの熱狂について。モノをめがけて全力で走ってゆく感情について。
これからわたしはそれをこのブログに残そうと思います。先の見えないこの狂った世界で、未来というものに思いを馳せながら。
< 2016年11月 >