横山光輝作品と生きる ~伊賀の影丸から始まった道/ 今入重一インタビュー  

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今入さんは『漫画の手帖』というミニコミ誌を情報源に、喇嘛舎、憂都離夜、中野書店といった古本マンガを扱う店にかようようになっていた。
二十代後半、この『漫画の手帖』を介して、その後の今入さんの運命を動かす大きな出来事が起きる。江口健一さんと堀井義信さんという横山光輝ファンとの出会いだった。

ふたりに探求リストを見せてもらい、今入さんはその充実ぶりにびっくりした。自分の知らない作品がたくさん載っている。学年誌なども網羅してある。すごい人たちがいるものだと大いに刺激された。

「このふたりがわたしをマニアにした」と今入さんは言う。
はた目からはもう十分マニアな今入さんだったが、本人が「マニアになった」と言う節目はふたつあり、そのひとつがこの人たちとの出会いだった。そしてそれから少し遅れた頃、もうひとつの出会いがやってきた。

(今入さんが江口さん、堀井さんと一緒に出した同人誌『オックス』)

 

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ある日、今入さんは喇嘛舎ですごいものを見つけてしまった。
横山光輝の「地獄の犬」だった。

今入さんは迷った。
「何を迷ったかって、3万円なんですよ」

それまでいろいろ買ってきた今入さんだったが、3万という金額は想像の外にあった。内容自体に特別惹かれたわけではない。1957年『少年クラブ』の付録で発表された「夜光る犬」がタイトルを変えて貸本用に単行本化されたもので、肝心なのはB6判というその形だった。
今入さんは、横山の貸本向け単行本はA5判のものしか持っていなかった。B6判貸本は初期作品で格上だった。

今入さんは悩んだ。

「見せられて、即答できなくて、店のおもてに出ては中に入り、それを何回かやったと思います。いろんなことを考えた。これを逃したら?とか、だけど3万だぞとか」

20万だったら諦めた。だが3万は高いといっても現実味があった。
悩んで悩んで、今入さんはついにそれを買った。

「あれがわたしをマニアにしたきっかけです。迷って、一歩踏み込んだ。悩んだ末、足をそこに入れた」

初期作品の判型に憧れ、悩み抜いて大金を使った。全力で形の違いに踏み込んだ。

「買ったあと顔がにやけてたと思います。周りの人がどう思ったか」

「顔が戻せない。やっと手に入れて、顔がゆるんじゃってもとに戻せない」

自分が影丸にいつから惹かれたかはわからない。だがマニアになった日のことははっきり覚えている。さんざん悩んだ末に大金をはたき、その世界へ足を踏み入れた。しかも買った後、毫も後悔しなかった。

(『地獄の犬』)

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さて「地獄の犬」で異界に踏み込んでしまった今入さんは、ひたすら横山作品を買い続けていた。

「3万という大台を越えてしまったら」と今入さんは言う。

「次が5万だろうが6万だろうが、そこを越すと大体同じになってくるんですよ」

さらに言う。

「もう出しちゃった、そしたら6万だろうが8万だろうが、ガンガンお構いなしになってきて、感覚が麻痺してくるんです」

5万だろうが6万だろうががいきなり6万8万に飛ぶあたり、完全にしびれがまわっている。

失った『週刊少年サンデー』も、百貨店の古書店で影丸が載る少し前の号から2年分ほどセットで出ていたのを買い戻した。
憂都離夜の常連からまんだらけに入社すると、だんだん持っているもののほうが多くなる。まんだらけにはおもちゃも売りにくる人がいて、そっちにも興味が沸き、下北沢などに買いに行くようになった。雑誌の付録の豆本とか他のグッズもどんどん集めた。最終的に鉄人28号の原画60万円が、一点につき今入さんの支払った最高額だという。

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