仮面ライダーカード という価値をつくる 14局46番 / 堤哲哉 3

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堤さんは言う。
「ぼくは子供のとき、ライダーカード1~546を通すのにあと2枚というところまで漕ぎつけていたんですよ。ただ508と545を持ってなかった」

「専門学校に通っていたとき、やっぱり仮面ライダーカード好きの奴がいて、かれがアルバムに545を持っていた。そのとき545を初めて見た。親切に彼が譲ってくれたので、残りあと1枚となって、下北沢のヒーローズに行った。500番台が3枚だけ出ていて、その中に508があったんです。36枚まとめて1万5000円払えと言われたのはそのときのこと。それで1~546までが通った」

「子供時代一緒にライダーカード集めをやってた早島くんに、売ってるところがあるよ、と教えてあげて、早島くんもまた集め始めた。それで一緒に下北沢のショップに行くようになり、ぼくは明朝、ゴシック、N版の三つをやり始めた」

「14局、25局にいつ気が付いたかですか。それは子供時代にもう意識していました。説明がカードのおもて下部に2列で書いてある、それで二列文字と呼んでいました」

14局と25局 (二列文字)、明朝、ゴシック

「明朝とゴシックという字体の違いにもその頃気づいていた。仮面ライダーアルバムは3枚並べる形になってるじゃないですか。だから同じ番号で、二列文字、明朝、ゴシックの3枚並べとか、小学生時代からやってました」

「そういう分類自体は小学生のときに、漠然ともう出来ていた。だから大人になってやり始めたら、あとはもう集めるだけですから」
「ぼくは専門学校の後、印刷会社に勤めて、版の違いとか写植とかに敏感だった。そういう強みもあったかもしれない」

 

「そうしている内に、『レッツGO!ライダーカード』を作ったメンバーのひとり、田口くんという人と知り合って、文章でこんな違いがあると見せてもらった。139番とか、そのへんを見せてもらい、文章違いの面白さに目覚めた。そうやって、段階を踏んで、徐々に深みにはまっていった」

1992年、堤さんは初めての同人誌を出す。
『スナック仮面ライダーカードスーパーカタログ』という本だ。

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1993年、堤さんは、日本文芸社から主著『仮面ライダーカード』を刊行した。同人誌の内容を改めて世に問うて、一般読者への普及を意識した一冊であった。

この中で堤さんは、1~546番のカードをカラーで並べ、ライダーカード弾数表というものを付けて、旧カードの14局、25局、明朝、ゴシック、そして新カード、という区別を明確に立てた。

また、同一番号異種カードに正面から取り組んで、おもての写真の図版違い、トリミング違い、裏面の解説文の違いを挙げて、見比べられるようにした。

 

<実は106~128のカードの特徴が、このトリミング違いの異種の存在なのである。正確には3種類に大別され、それぞれ明朝版(106~128)、ゴシック版(106~124)、記号版(カード裏面の下部にNやSなどの記号や数字が印字されている)に分けられる>(「仮面ライダーカード」190p.)

前述したように、この違いを堤さんは小学生時代におおよそ認識していた。
1~105までの14局、25局、そして106以降の明朝、ゴシック及び記号版の存在は、カードを集め並べる遊びへの没頭の中、おのずと浮かび上がっていた。
子供時代の自分のアルバムにあったさまざまなヴァリエーションを、堤さんは、色味の違いも含めてこのとき一般に紹介した。

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そして「なんでも鑑定団」の時が来た。

 

「仮面ライダーカードの14局46番を探しています。
持ってきてくれたら10万円で買います」

 

14局という言葉は一般の視聴者にはわからない。堤さんは「鑑定団」でこまかく説明した。
ライダーカードを分類して、14局や25局という秩序を打ち立てたのは堤さんだった。14局46番が出てこない、そもそもその欠損の概念そのものを提出したのが堤さんだった。
堤さんは欠損という問いを立て、なぜ見つからないのかその理由を考えた。それはこのカードが「ラッキーカード」だからではないのか。堤さんは10万円という金額を使って、暗闇の中からそのカードを引きずり出そうとした。

 

予想していたとおりのラッキーカード。
今までの労苦に一筋の流れが通った瞬間だった。
まだ見ぬものを表舞台に引きずり出し、仮面ライダーカードの体系化を完成させること、あのとき「なんでも鑑定団」で起きていたのは、そういう出来事だ。

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