************

今まで復刻した中で特にこれはというものを教えてください。
わたしがそういうと、高橋さんが出してきたのは厚みのある二冊だった。

春名誠一原作・東浦美津夫「どこに青い鳥」上下巻
(『少女クラブ』1958(昭和33)年5月号~1959(昭和34)年3月号初出)

アップルBOXクリエートは、2005年、この長編少女漫画を上下二分冊で復刻した。
高橋さんは言う。
「今ではあまり知られていない人です。ストーリーはよくあるものですが、当時、この絵は群を抜いている」

東浦美津夫(1930~2012)は、1937(昭和22)年17歳でのデビュー後、作風の変遷を経ながら長期にわたって活躍した。初期の作品は冒険海洋活劇「海の狼」「腰抜け捕鯨隊」など。その後、時代物「はやぶさ頭巾」「そらまめ童子」などを少年月刊誌に発表した。そして男性漫画家の多くがそうだったように、初期の少女漫画の描き手であり、『少女』『少女クラブ』『週刊少女フレンド』などで連載を手がけた。ほかに横山光輝原作「無明幻之丞」(1966)などがある。

「どこに青い鳥」は、意地悪なおばさんのもとで育った少女が、実の母親との幸福な生活を求める幸せさがしの物語だ。
京都で心ならずも舞妓になるよう育てられていた少女ひづるは、自分の生みの母が東京にいることを知り、しるしのダイヤのリボンを持って逃げるように上京した。その母は、子役スターになった、ひづるの弟まさみとふたりで暮らしていたが、ひづるたちの叔父の借金のため悪者に邸を奪われそうになっていた。この窮地を救えるのは、養女に出したひづるに与えたダイヤのリボンしかない。だが母はひづるの居場所を知らず、一方ひづるは上京する電車の中で、すりの少年にリボンの入ったバッグをとられてしまう。

 

13

実の親をさがすなど、少女が幸せを求めてさまよう話はごく普遍的なパターンだが、当時はとりわけ流行のものだった。東浦美津夫は少女誌でこうした悲しい少女の話を多数えがいている。「少女クラブ」と同時期の雑誌「少女」では、「カナリヤさん」「バラ色天使」「涙のオルゴール」など、孤児となった少女の幸せさがしの物語が続く。

「少女」は、1949年から1963年まで光文社から刊行された少女雑誌。特徴のひとつに当時一世を風靡した子役スター・松島トモ子が、1950年代のあいだほぼずっと表紙をかざったことが挙げられる。
ちなみに1957年、東浦は、この光文社から、松島トモ子の伝記マンガ「まんが物語トモ子ちゃん」を刊行した。
当時、「少女」編集部は、世の悲しい少女たちをとりあげた実話コーナーに力を入れ、ふろくや増刊で、松島トモ子が実際に出会った悲しい話のシリーズを展開していた。東浦の「まんが物語トモ子ちゃん」は、冒頭、戦争で父を奪われたトモ子の不幸な生い立ちを描き、そのトモ子が本当に出会った悲しいお話をつなげて構成された一冊である。

昭和30年代初め、戦争の惨禍がまだなにがしかの実感を伴っていたあの時代、雑誌「少女」が、自分たちのシンボルとして起用した松島トモ子に求めたのは、スターであっても心に悲しみを秘め、世の少女たちと幸せさがしを共有する少女像だった。そうしてそれをマンガの面から支えたのが東浦美津夫だった。悲しく可憐な少女を描き続けた東浦の絵は、当時編集部から、時代を代表する少女・松島トモ子の肉体と心性をあらわすものとして、評価されていたようだ。
なお、原作者・春名誠一は、この悲しい実話シリーズに参加して東浦とタッグを組んだこともある。月刊少女雑誌でマンガや絵ものがたりの原作を多数つとめ、父を事故で亡くした少女の話「母子草」が国会図書館に残っている。

 

14

この東浦美津夫が、先の春名とのコンビで講談社「少女クラブ」に舞台を変え、名前もトモ子とは別のスターを想起させるものにして、得意の悲しい少女の幸せさがしを描いたのが「どこに青い鳥」である。

意地悪なおばさんの手から逃れ、京都から上京したひづるは、実の母と再会した。だが、ダイヤのリボンの紛失を知って母は心労で入院する。弟まさみは悪者に狙われる。叔父は監禁されている。念願のダイヤを発見して喜んだのもつかの間、弟は事故で片足が不自由になってしまう。悪者はついに逮捕されたが、直後、叔父の失火で屋敷もダイヤも全焼し、母子は貧民街のその日暮らしに転落する。弟の足を治すため、ひづるは嫌いだった舞妓になろうと京都に戻った。だが、足を悲観した弟まさみが北海道に家出するや、連れ戻すため北海道へ飛ぶ。その飛行機には時限爆弾が仕掛けられていた。

この壮大なジェットコースターはまだまだ続き、北海道でひづるがサーカス団に加入したり、まさみがアイヌの秘宝に関わったりとめまぐるしい。ちょうどアイヌの少年少女をえがいた「コタンの口笛」が流行した頃だった。

これは本当に悲しいお話なのか。いや違う。
前半、不安な顔ですぐに泣いていた少女ひづるは、ダイヤをさがし、母を支え、弟を案じ、時折涙しながらも獅子奮迅の働きである。
戻った京都では舞妓としてライバルと舞台上で火花を散らす。北海道のサーカス団でも、舞台の急場を得意の舞で救って喝采を浴び、前半の泣き濡れる舞妓時代を完全に払拭する。
幼かった表情も徐々に大人びてゆき、無力を詫びる母親に「あたしたち、おやこじゃないの・・・幸福になれるまで みんなで力になりあっていこうと ちかったじゃないの」と言うひづるは、もはや完全に自分自身で運命を切り開いてゆく少女なのだ。

ラスト、経済状況も弟の足も実際の問題は何ひとつ解決していないが、親子は北海道から元気に東京へ戻ってゆく。アイヌの人たちとの生活で弟も精神的に強くなった。

「どこに青い鳥」を読んでいると、悲しい少女の幸せさがしの曲折の中、徐々にあの時代の最も良いもの、希望というものが、どうしようもなく溢れ出てくることに深く心を動かされる。
この作品はまさしく東浦美津夫が少女漫画に残した大きな贈り物にちがいない。だがこの、奔流のように読者を巻き込む希望の物語をそのまま体感させてくれるのは、現在、アップルBOXクリエートが出版した100部の上下巻だけなのだ。

 

最新情報をチェックしよう!