*

新小岩駅近く、蔵前通りに面したマンションの一階に古書店がある。
ガラス戸に金色の優しげな字で誓和堂と書かれたその店は一見古書店と気づかず通り過ぎてしまいそうなたたずまいだが、中に入れば貴重な漫画本が溢れ返る、その道で知られたヴィンテージ漫画専門店である。店主は「ミーコメタモルフォセス」などの作品をもつ漫画家たかはしちこ。同時に、アップルBOXクリエートという同人誌サークルの運営者だ。

現在アップルBOXクリエートは、『少年なつ漫王』『漫画市』というふたつのシリーズを定期的に刊行している。単行本化されていない古い漫画の復刻と、その作品の雑誌掲載時の表紙を並べるなどしてそれぞれ一年に4、5冊ずつ、これに単体での復刻作品を加えて、年間二十数冊を刊行する。アップルBOXクリエートのきわだった特徴はこの、古い漫画の復刻に対する執念ともいえるこだわりであり、その挑戦の深さと長さにおいてまさしく他を圧倒している。

2018年4月、『少年なつ漫王』は50号を刊行した。古い漫画の復刻は同年夏で三十周年となる。この驚異的な持続を前にして、わたしはほとんど何も形容する言葉を思いつかない。
ここまで続けるモチベーションは何なのですか、どうしてこれほど復刻をやり続けるのですか、とわたしは訊く。わたしは、強い使命感や情熱を語る言葉を内心期待していたのだけれど、そのような言葉が高橋さんから発せられることは一度もなかった。穏やかな物腰の高橋さんは、元来そういった大上段に構える言葉を持ち合わせないひとのようなのだ。喜びを語るときは控えめで、苦労話を語るときでさえ、どこか第三者の目から見ているような淡々とした雰囲気が漂った。
そしてただ、積み上げてきた事実だけが途方もなく巨大だった。

(『少年なつ漫王』50号  今までの復刻リストも収録)

**

高橋さんは語る。
「いまは復刻が主になっていますが、これはごくふつうの同人誌活動の延長なんですよ。途中から復刻をスタートして、復刻のほうが知名度が上がったんです」

高橋さんの同人誌活動は、1971年、村岡栄一主宰の「奇人クラブ」という著名な同人誌から始まった。COMで世に知られた「奇人クラブ」は、岡田史子などを輩出し、客分で大友克洋が描いたこともあった。

「その中からデビューしたり、引退したりして、残ったのがわたしと何人か。それで、ある時から、自分の作品と、何人かに声をかけて、わたしが個人編集をするようになったんです」

初めはなかなか方向性がつかめなかったという。パロディなどをさかんに載せたが、やがて読者の反応から、懐かし漫画の特集が好評であることに気が付いた。読者からのコメントにこたえる形で高橋さんは復刻に踏み出し、それはいつしかアップルBOXクリエート畢生の事業となっていった。

(高橋さんの個人編集で、最初に懐かし漫画を扱った同人誌『あっぷる!ぷるる・・』)

***

復刻の準備は何年も前から始まっている。

長い時間をかけて資料をさがす。次に作家に連絡をとり、ファンが望んでいるから無償で復刻をお許しいただけないかと頼む。つくるのは現在のところオフセット印刷で100部、経費はすべてこちらで持つ。それを通販と二三の古本屋で、2000円ほどで頒布する。
ちなみにこの100部という数字は、高橋さんによれば、印刷所に出すぎりぎりの線であるのだそうだ。
「それ以下だとあまりにも印刷代が高くつく。それ以上だと在庫が大変で」
再版はしない。再版発行も100部からのため、容易には動けないのだ。

まず、往々にしてこの、作家との連絡がつかない。
昔の漫画のことで消息不明となっている作者は少なくない。すでに没して遺族の居場所すらわからない場合もある。そういうときはおおむね「ご存じのかたはご連絡ください」とただし書きをつけて発行する。時には断念することもある。そこは状況によりけりという。
そしてまた、往々にして、連絡がついても許可がおりない。

1959~60年『少年』誌予告ページ特集号

****

連絡がついても許可がおりない。
版権を所有する企業やプロダクション、作家や権利者を取り巻く力関係の中で、どこにも所属しない個人の同人誌は最も弱いところにいる。
「特に、自分が読者として親しんだ作家さんに対しては、恐れに似た憧れがあって、直に訪ねていって復刻をお願いしたいということがなかなか言えない。後ずさりしてしまう感覚があります」と高橋さんは言う。

個人で作家にたどりつき、理解をもらうことの道のりは遠い。
理想的なのはファンの人やファンクラブが作家への橋渡しをしてくれることだ。ファンの協力を得ないと、結局企画が流れたり、うまくいかない部分が出てくるのだそうだ。

復刻のため作家と接している内、ファンから作家の耳に悪意をもった噂が入ることがあるという。そのファンは高橋さんが作家と親しそうにしているのを不快に思ったのかもしれないと高橋さんは語る。まったく関係ない人がご注進という感じで悪口を言ってゆくこともあったらしい。
「こちらのやっていることを邪魔だと思えば、悪口はなんとでもいえる。それも、まるきりの嘘でなく本当のことに想像をまじえて書く。だからいかにも本当らしくみえる。そういうのを書くなら直接質問してくれればいいのに」

勝手につくって勝手に儲けていると噂を流されたときは、その回ばかりでなく他の回にまで影響が及んだ。それまで気持ちよく接してくれていた先生が態度を変えたことも何度もある。許可をもらったのに、1~2冊復刻してからダメといわれたこともある。許可されたはずなのに許した覚えはないと言われ、逆らうこともできずお詫びしたこともある。その復刻からは撤退する。
「そういうときは、わたしも心が折れるんで」と高橋さんは言う。

無版権で雑なものをつくってインターネットで高値で売るひともいるが、高橋さんはそういうことはやりたくない。
「そこまでやって得るものはお金以外ないんですよ。そして悪評が立つ。わたしは臆病だから、そんなふうにやるものは楽しくない。やっぱり、よく出してくれた、懐かしかったというような一定の評価はされたいんです」
人から喜んでもらうことが、高橋さんの最も望む評価なのだ。

1959~60年『少年画報』誌予告ページ特集号

最新情報をチェックしよう!