佐々木大(仮名)/プロ野球サイン 3

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よく目の前に選手を見て、サインくださいのひとことが言えない。頭が真っ白になって、何も言えない、という話を聞く。

・・・佐々木さんはそんなことはないですか?

「ないですねえ」と佐々木さんはあっさり言う。

子供時代からの野球ファンじゃないからだと言う説はあるだろう。だから選手を前にして冷静でいられるんだ、と。
そうかもしれない。だがそれだけでもない。
たとえば佐々木さんはアイドルも好きだが、どれほど自分が応援しているアイドルの前でもあがったりはしない。

「あなたたちは選手を見つけるとすぐスマホをいじって、写真を撮ろうとかするじゃないですか。
ぼくはまっすぐその人を見て、サインちょうだい!って全力で言いますよ」

こう来たらどうしようとか思ってるだけじゃない。
重要なのは、自分が何を求めているかを、はっきりわかっているということだ。
写真?
握手?
自分を覚えてもらうこと?
優しい心の通い合い?

違う。サインだ。

佐々木さんはぶれない。自分の力を結集し、サインを獲ることだけに一心不乱に向かってゆく。
そしてそのあとモノ自体にしがみつく気持ちもない。
集めるまでが好き、手に入れた瞬間がたまらなく好き。

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その佐々木さんにも攻略できない選手はいるという。

「2回行ってダメならもう行かないですよ。くれない選手のは要りません」

実をいうと、2008年のジャイアンツ全選手カードに、たったひとりだけ、サインのない選手がいるのだ。・・・阿部慎之助。

・・・だって慎之助のサインいっぱい持ってるじゃないですか、とわたしは言った。

「それはおとなの事情があるんです」
佐々木さんは、そこは教えられねえという顔をした。

「まああれだけの重圧を背負ってキャッチャーをやってたわけですから、サインまで書いてる余裕はないんでしょう」

要らないとぴっしゃり言った割に、佐々木さんは気の優しいことを言う。

・・・じゃ逆に、サインを書くのにこだわってる選手ってのは、いるんですか?

わたしは重ねて訊いた。

「木佐貫ですかね」と佐々木さんは答えた。

木佐貫投手は2003年から2009年巨人に在籍した。その後オリックス、日本ハムと移籍し、2016年からは巨人のスカウトマンになっている。

「あのひとは子どもの頃から自分も野球カード集めてたんで、綺麗に書くんですよ。ファンにも優しい。育成からあがったし」

佐々木さんは言う。
選手たちはシーズン最初の宮崎キャンプのとき、配布用の特別なカードを球団から支給される。木佐貫はそれをファンだけでなく、ちびっこたちに小学校の給食イベントなどでも配った。全部自分でサインを入れ、千何番までナンバリングして。

おっ、とわたしは思った。なんだか馴染みのある匂い・・・。こりゃいかにもカード好きのツボを心得ている感じがするぞ。

「自分でもカードが好きなんでしょうね」と佐々木さん。

だから木佐貫のカードは自筆のシリアルナンバー入り。そして大事にスリーブに入れられているという。

※注
2008年全選手カードの中には、もうひとり高橋由伸のカードにもサインが入っていない。これは佐々木さんが友人の由伸ファンにあげてしまったため。