佐々木大(仮名)/ プロ野球サイン 1

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金田正一は1950年、国鉄スワローズに入団し、20年間の現役投手時代に日本プロ野球史上最多の400勝をあげた。登板回数944、完投365、投球回数5526,2、奪三振4490。
前人未踏の記録はこの先も破られることはない。
所属した国鉄、巨人2球団で、ともに背番号34は永久欠番。監督としても活躍し、名球会を創設し、「球界の天皇」と呼ばれている。
そして、サインをほとんど書かない。

金田率いる「ドリーム・ベースボール」(2017年現在、金田は引退)は、宝くじ社会貢献広報事業の一環として、プロ野球を引退した選手の試合や野球教室を、全国各地で開催している。
会場では抽選があり、当たれば出場選手たちのサインがもらえる。

日本全国追っかけて金田のサインを狙ったが、群馬で外れた。ひたちなかで外れた。大阪で外れ、広島で外れた。栃木でもダメだった。
どうしようもない。
通り道で待っていて「サインお願いします」と頭を下げた。不本意ながらいちばんベタな正攻法だった。

「サイン?書かねえぞ、こら」
ファンを扇子で追い散らすことで名高い大投手、その日もしびれるほど愛想がなかった。
「お願いします!どうしても金田さんのサインがほしいんです!」
熱っぽく訴えたが、相手は素知らぬ顔で扇子をぱたぱたあおいでいる。ひたすら頭を下げてもまったく響く様子がない。

これ以上は無理だ、と佐々木さんは思った。
これ以上押したらハッピーでなくなる。
金田さんにとってだけじゃない。ぼくもハッピーではなくなってしまう。

諦めて立ち去ろうとしたとき、「おい、それ渡せ」と唐突に相手が言った。
驚いて、持参の色紙を差し出すと、大投手は勢いのある文字をさらさら書きつけ、ほら、と返した。
それがぶっきらぼうだがイヤな感じではなかった。

・・・ああ、この人ホントは優しい人なんだ。。。
思いがけなくハッピー感が満ち溢れる。金田のことが大好きになってきた。

・・・よし、ゲットした。
なんだ、いい人じゃないか。イケるじゃないか。
難攻不落の砦を落とした達成感。ひとたび攻略すれば波に乗るのは当然で、これはその後「ドリームベースボール」で佐々木さんが見事ひき当てた、大好きな金田正一投手のサインボール。

 



なぜふたつ?

 

2

みんなハッピーになればいい。
そう佐々木さんは言う。

だがなかなかハッピーになってくれない人もいる。
巨人V9の黄金期を支えた大ピッチャーで巨人軍元監督の堀内は、きまじめな雰囲気を漂わせ、めったにハッピーな様子を見せない。やはり不器用で優しい性格なのだろう。これがまたなかなかサインを書かないが、子どもには書く。佐々木さんのようなラテン系の大人にはどう見てもあまり書きたがりそうにない。

あるとき、堀内のサインが欲しくて、佐々木さんは再びドリーム・ベースボールに乗り込んだ。ちょうど少年野球のチームが来ていて、指導を受けていた。その場をうろうろしてみたが、さすが堀内というか、いっこうに打ち込める感じがしない。さんざんうろついた後、抽選で堀内のサインを当てた人を発見した。

「あのう、ぼく、堀内さんのサインボールが欲しいんですよ。
ぼくの当てた〇〇さんと交換してもらえませんか」

本当は直接欲しいけれど、ダメもとでそういう取引もしてみたりする。相手が満足するまであれこれねばって、なんとか堀内のサインをゲットした。その人もハッピー、佐々木さんもハッピー。もちろん堀内だって、ラテンなおとなに追っかけまわされるよりはハッピーだろう。

誰もイヤな気持ちにならない、それがいい、と佐々木さんは言う。
そういうのがステキなサインのもらい方。

(村田兆治)

3

佐々木さんは大人になるまで野球と無縁で過ごしてきた。

子供時代は利根川でトンボを追っかけて遊び、大きくなってからは女の子と遊ぶのが大好きだった。
あるとき、つきあった女の子がジャイアンツファンで、東京ドームに巨人戦を見に行こうよと誘われた。野球を見るなら外野のほうが面白いよ。そう言われるがままにライトの外野席へ行き始めたのが、90年代後半のことだった。

初めて見るなまの試合は印象深いものだったが、とりわけ惹きつけられたのは投げ入れボールだった。
毎試合1回のおもて、守備につくジャイアンツの選手たちが客席に自分のサインボールを投げ入れる。それをみんなが競い合って獲る。
持っている人を見て、佐々木さんは無性にうらやましくなってきた。

投げ入れボールはなかなか獲れない。特に佐々木さんは我ながら獲るのがヘタだった。センターのローズがいつも54通路のほぼ決まった位置に投げる。それを狙ってそちらの席に座り、なんとかゲットするようになった。
それがサインを手にした始まりだ。

槇原寛巳完全試合

 

4

そのうち、サインカードがほしくなってきた。
だいたい2000年頃だったろう。
野球カードはそれぞれの選手の写真が入っているから、見て楽しいし、貰ってみんな喜ぶ。

とにかくまずは昔ながらのサインゲッターにサインのもらい方を教わるところからスタートした。たとえば選手の移動中待っていて、「~さん、サインください!」と言ったりするようなことだ。

そういうのは正直、自分だけでは難しい。人との協力が必須だが、佐々木さんの稀有な能力は、そういう人間関係をつくるのが異様に早いことだった。またたくまに仲間に声かけして、ネットワークをつくりあげた。

「けちけちしたことはしないんです」と佐々木さん。
「自分だけがいい思いをしようとは思わない。自分がめだちたいタイプもいるけど、自分の存在を目立たせようというのはぼくにはない」

どれだけお金を積むよりも、人とのつながりで何かやるほうがカッコいい、と佐々木さんは言う。
「ぼくは最初から、サインやチケットを金銭でなんとかしようとは思わなかった」

課金でクリアするなんてつまらない。
知恵をしぼり、手間暇をかけ、きっちり獲って帰るのだ。みんなハッピーというハードル付きで。

5

サインをもらう現場はトラブルだらけだ。
喧嘩は日常茶飯事、暴動寸前になることもある。
ちょっと顔なじみになると、すぐにいきがって列に割り込むやつもいる。
巨人ファンですと言って並んで、自分の分と売る分と貰うやつもいる。俺、ファンだぜ、と言いながらヤフオクに出す。
そもそも列自体が成立しないときだってある。警備員はいない、トラブルは満載、選手は完全プライベート。
NGが出されることもしばしばで、女の子がいなけりゃ書かない選手もいる。

すべて予定通りには進まない。
そこを連携し、状況を読み、タイミングを待つ。

待ちわびた選手がやってきた。だががっついてはならない。この選手はいつも荷物を置きに行き、飲み物を買いに戻ってくる。そこを見計らって声をかける。

礼儀正しく、目が利き、押さえがきくこと。
その場を理解し掌握すること。
コントロールするのは自分自身。
何の保証もない野生の荒野で自分の腕が試される。その醍醐味に佐々木さんはのめりこみ、どんどん深みにハマっていった。