(11)
2004年、雑誌『フィギュア王』65号は食玩特集だった。Hさんはこれを購入してなめるように見た。食玩やおまけの世界はHさんにとって既に大きな問題だった。
Hさんは企業もの・お菓子のおまけの本をたくさん持っている。
『別冊太陽 子どもの昭和史 おまけとふろく大図鑑』
オオタ・マサオ『広告キャラクター人形館』(1995年 筑摩文庫)
『ザ・おかし』(1996年 扶桑社)
『ザ・ジュース大図鑑』(1997年 扶桑社)
入山喜良『おかしな駄菓子やさん』(1998年 京都書院アーツコレクション)
『20世紀我楽多図鑑』(1998年 PARCO出版)
『グリコのおまけ型録』(2003年 八重洲出版)
ページをめくって、薬局のカエルやゾウやウサギを見ながら、これも持ってる、これも持ってる、これも、これも、とHさんは指さして言う。ナショナルの「電球くん」を20万円で買った。「キングガゼラ」をクワントで25万で買った。シスコがまた大問題。鬼太郎はあるし、ウルトラマンはあるし。300点で貰える鬼太郎箱、前期型と後期型を2体。コント55号の人形も。ひとつハマると何十種類と買うようになる。でんすけが5個揃ったときは嬉しかったな、とHさんは懐かしむ。
(『別冊太陽 子どもの昭和史 おまけとふろく大図鑑』)
(12)
Hさんの身には災難もふんだんに降りかかった。日常の些細なトラブルは災難ではない。高額のニセをつかんだことさえ勘定には入らない。だが、お宝が水没したことが2回ある。家の横の川が氾濫し、原画が被害にあった。「うる星やつら」のラムやしのぶの絵コンテもまるまる1冊分ダメになった。二度目のときはセル画がやられた。まんだらけで二十万で買った旧ルパンの不二子のセル画がぐしゃぐしゃになった。
火事にも遭った。
「俺、古い家電にもハマってた時期があるんだよ。そのTVラジオから出火してさあ」
そのぼやでお宝の三分の一くらいが焼けた。持ってる人を拝み倒して50万円で買った妖怪人間ベムの指人形が溶けた。交換で手に入れた店頭用のマジンガーZもマシンガンも燃えてパーになった。
盗難の憂き目もみた。弟子といって出入りしていた友人がお宝を盗み出して売っていた。倉庫の壁をぶち抜かれてモノを持ってゆかれたこともある。
破局も経験している。実はHさんは結構モテるのだ。だがこれは災難ではない。「私とおもちゃとどっちを選ぶの?」とド直球を投げた彼女も彼女だったし、「おもちゃ」と即答したHさんもHさんだった。
(画像はまんだらけ・変や)
(13)
「ほしいなほしいな、いろんな人に言って。でも金がないときにモノが出てきたらどうする?キャッシングで借りてきてまで買うか?ストッパーは年がら年中外れてるけど。じゃ、それは本当にほしいのか?」
Hさんは自分に問いかけるように言う。
「今は旅行はホントの旅行よ。温泉入ってさ、料理食べてさ。ビビッとくることもあまりない」
「怪獣も妖怪も高いな。高くなったな。ずっとこんなことをやってられるのか。破滅じゃん。でもお前はやめられないんだよ。何か買うんだよ」
誰かのコレクションを見ると欲しくなった。人がやってるのを見ると欲しくなった。
「おかしくなっちゃう。自分でもわからない」
欲しいという思いは燎原の火のように広がり、自分自身を焼き尽くした。
伸び放題に伸びた興味関心の枝を、いまは何百本も切りながらやっているというHさんに、ではどのジャンルが残るのかと訊いた。
「食玩とノートは飽きないね」とHさんは言う。20年以上やっているけど、いまだに見たことないものがバンバン出てくる。
原画だのの紙モノは、数年前まんだらけを呼んですべて処分した。だが一部屋を空にしたのもつかの間、ふたたび部屋は満杯状態。Hさんはそう語り、若干の絶望をにじませる。
(14)
Hさんが持ってきてくれた一品は、東京水道局のキャンペーン・東京スリムのゴミラというキャラクターだった。
「これを見ていると、なんかいいんだよなあ」
しみじみ、と形容するしかない口調でHさんは言う。ゴミラの写真をわたしは何枚も角度を代えながら撮った。ゴミラは好奇心の強い小鬼のような顔をしている。欲しいものができたらきっと夢中で突進してゆくに違いない。
(15)
Hさんの話を聞いていると、モノ以上にそれらの並んだ空間というものが、常にイメージの中央に位置しているのに気がつく。或るテーマのもとに集められたモノたちの空間、それを見るといつもぞくぞくした。そのモノたちで身の回りを埋めつくして暮らしている、そういう暮らしの中に入りたいとHさんは思う。おびただしいモノを並べた部屋は、それぞれがひとつの独立した世界となっている。その世界の中へ入りたいとHさんは思うのだ。その場所はいつも輝いている。
雑誌「POPEYE」は、アメリカ西海岸の生活スタイルを日本のシティボーイに向けて発信し、絶大な影響を与えた。モノをカタログのように並べて見るカタログ文化を浸透させたといわれる「POPEYE」だが、編集者たちには、モノを紹介すればそれが記事になる、モノが事件になるという新しい確信があったという。
シティボーイにはほど遠いHさんも、時折「POPEYE」を読んでいた。97 年頃からは定期的にインテリア特集が組まれ、いろんな人の部屋が登場した。趣味の品で埋め尽くされた部屋も多かった。Hさんはそういう部屋から部屋へ、世界から世界へずっと旅をしてきたのだった。
「モノを通していろんな人に会った。普通ならつき合えないようなすごい人とも会ってきた。偉い人もそうでない人も、モノの世界ではみんな同じところにいる」
誰かの空間を見て好きになり、あるジャンルにハマりこむ。それを探していて本当の難しさに突き当たった頃、ビビビッと次の波がきた。憧れはうち寄せては引き、またうち寄せた。
「脈打ってるの」
Hさんはそれを鼓動にたとえて言う。
ときめき続けて生きてきた。
バブル終焉とともに始まった平成が終わる。経済の長い低迷と明日への不安は、人々のモノへの関心を大きく変えたようにみえる。おもちゃも原画も、すでに資産価値の言葉なしには語れない。
活発な人付き合いと売買とに明け暮れてきたHさんだが、その道にはいつもどこか孤高の匂いがつきまとっている。世間の動きに顧慮しない、それはまぎれもないマニアの匂い。Hさんを通してわたしは憧れという香気を深く吸いこむ。
モノを持つことは輝かしい。追い求める思いは果てしない。モノに囲まれている人は世界を所有する人である。ときめき続ける人生こそは、生きるに甲斐あるものである。
了(2019年4月)