ホットホイールの魅力 ~世界一はやいミニカー/ Mr.AE 3

 

AEさんがebayで最初に学んだことは、ホットホイールをアジアに売らないという人の多さだった。
< お前らにホットホイールはわからない。
どうせ転売するんだろ?>

とある個人的な販売サイトに、AEさんがどうしても欲しい車種を見つけたときのことだ。
交渉で食い下がるAEさんに相手は言った。
そんなに言うなら根性を見せろ。おまえが本当にホットホイールが好きだということを証明してみせろ。

たまたまAEさんは上司から海外駐在を薦められていた。これはまさにチャンス!
業務内容や滞在場所をなんとかやりくりしたAEさんは、生まれて初めて海外へ飛んだ。初海外で苦戦しながらも、宅配便のやりとりが可能なモーテルを仕事現場の近くに見つけて転居、満を持して例の販売サイトのコレクターに連絡した。

「俺はいまアメリカに来た。アメリカに居るぞ。どうだ、これで国内取引だ」

「いま希望する車種をカートに入れた。さあ、振込口座を教えてくれ。俺にホットホイールを売ってくれ」

お前の勝ちだ、と相手は言った。
お前を信用しよう。お前はほかのアジア人とは違うようだ。カートを見てもそれがわかるよ。
リストの中のもっと価値のある実車モノには目もくれず、自分の好きなモノを入れている。
わかったよ、お前は自分が欲しいモノを買いたいだけなんだな。

そう、AEさんの好むものは、一般的に価値を認められている「実車ベース」のホットホイールではなかった。
当時あまり人気の無かった「架空モノ(ドリームカー)」を、AEさんはひたすらカートに詰め込んでいたのだった。

 

 

アメリカ特有のカスタム車文化ホットロッドは、主に1930年代のフォードなどクラシックカーを基体としてそれをアレンジする。車体を低く、派手なペインティングを。

ホットホイールの初期デザインを牽引したハリー・ブラッドリーは、こうした輝かしいカスタムカーの歴史に名を刻む人物だ。
かれがマテルに加わって、手探りでミニカーのデザインを始めたとき、「ブラッドリーは、それが(マテルの)かれらが求めているものであることを望みながら、未来の車の図面を描くのをスタートした」という。
「1984年の車が1966年にバックして来たみたいだと自分が思うようなものを」とブラッドリーは語る。「(社長の)エリオットはいつも立ち寄って、ぼくの描く技術にすっかり惹かれているようだった・・・」(Randy Leffingwell『HotWheels 35 years of speed,power、performance and attitude』)

あとに続く綺羅星のようなデザイナー陣も負けてはいない。
実際の車をそのまま再現したものでない、未来的なデザイン、いじりまくった、風変わりで目を驚かすようなミニカー、そういうものはホットホイールの大きな魅力となった。
AEさんは知らず知らずの内、ホットホイールの中でもとりわけ現実にはありえないような、仮想的なタイプを夢中になって集めていた。
当時日本の小売店では入荷しなかった、カタログの中でしか見られなかったドリームカーを。

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結局AEさんは、そのアメリカ滞在で8万円分くらい買った。
帰国後もその相手は、手元にあるダブりの品などをみんな売ってくれた。だいたいその1年で50万円くらいかけて、好みのホットホイールを揃えてしまった。

相手はまた、それまでドリームカーを闇雲に買うだけだったAEさんに、一般的な価値も勉強したほうがいいと勧めてくれた。
マテルの実車は一見普通に見えるけど、どこかが、何かが、変なんだ。
新しい素敵な概念を知ったAEさんは少しずつ勉強し、マテルは実車の名がつくタイプも必ず手を加えて彼らなりのモデルにしているのを知った。
それで徐々に実車タイプも集めるようになった。

「必ずどこかいじってる、それがホットホイールの魂なんですかね」とAさんは言う。
そういうのにびりびりしびれるのだ。

リアルとは、単に現実に即しているということではない。
ただの再現性とは全く別の次元で、本物の魂を感じさせるかどうか。
人が自分の空想をどこまで本気で実体化し、おのれの手中に持ってこようとしているか。

いかれた空想と、サスペンション。
ホットホイールはAEさんを、自分にとっての本物のリアルに目覚めさせた。

 

 

 

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