アメリカ・マテル社は、バービー人形で既に有名なおもちゃ会社だったが、1968年ミニカー業界に疾風のごとく参入し、後にsweet sixteenと呼ばれる16車種を発売して驚異的な成功をおさめた。
いや、単に16車種ではない。形は16種、そのそれぞれに数種類の塗装色を設け、子供たちは店先で「好きな車」を「好きな色」で選んで買えるのだ。まるで大人が実車をディーラーから購入するように。
色合いも、実車とは全く異なる「ダイキャスト素地にクリアーカラーを吹き付ける」手法を導入、ホットホイールは、キャンディペイントとかスペクトラフレームと呼ばれる宝石のような塗膜を纏うことになった。
デザインがまた圧巻だった。アメリカ特有のカスタム車文化「ホットロッド」の息吹を受け、実車とはどこか違うという、間違い探しを楽しむような味があった。実車を元にはしていても「実車名の頭にcustomを呈する」というネーミングもホットだった。とにかく熱いのだ。
恐るべき開発陣営は、さらにホットホイールに世界初の魅力を与える。・・・・走行性。
< 車は走らせてなんぼだぜ >
摩擦軽減用ポリキャップの周りを滑るように廻るタイヤ。ピアノ線を使った四輪独立懸架サスペンションを仕込む車種まで存在し、ビスケットの欠片が散乱するテーブル上を、四輪全てが接地して安定的に走れるというすごさ。
「傾いたテーブルなんかに置くと、スーッと走ってしまって、どこまでも走り続けるんですよ」
取材現場となったカラオケボックスのテーブルの上、そこを走るパイソンというレッドラインを見つめながら、AEさんは嬉しそうに言った。
当時日本にも輸入された「セット」だと、ミニカーもコースも全部ついていて、そこですぐに走らせることができた。
もちろんセットを買うお金がない人もいる。セットに付いてきた車が好みのものでない場合もある。当時500円かそこら出すと、レールだけ15メートル分くらい入っているセットを買うことができた。AEさんはそれを買い、まずは手持ちのトミカを走らせてみた。だが何かうまくいかない。そこで新しく買ったホットホイールを試してみると、これが面白いようにスーッと走る。根本的に設計が違うのだ。
3歳から5歳頃のAEさんは、そのコースで一日中ホットホイールを走らせた。この車が走ること走ること。楽しくてしょうがない。Aさんはいつまでもいつまでもそれを眺めていた。
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取材の日、AEさんは、持ってきたホットホイールを裏返して見せてくれた。
「この車種は結構初期のものなんですが、ここ、見えますかね。タイヤのところにピアノ線が入っているでしょう。これ最高の解像度で撮ってください。四角い穴の中のピアノ線が写ると嬉しいな」
裏返した車のシャーシに空いた穴の向こう側、白い腱のようなピアノ線が覗いている。
「1軸に1個のタイヤが付いて、四輪それぞれサスペンション機能が働く、これホントの車と同じ。あとこわくて分解したことがないけど、これ、ホイール部分が軸から外せるんですよ」
・・・なるほど、分解改造できるんですか。
「そしてこれが一番強調したいところなんですが・・・」
AEさんはホットホイールをテーブルに降ろして、ルーフに人差し指を当ててからそうっと押し下げた。
「沈むでしょう、ほら。」
AEさんが押すと、その車がゆっくりと沈んでまた戻るのが、傍目にもあきらかに見えた。
「さらに一輪一輪を押しても、それぞれがバラバラに沈むのです」
・・・おお、これが先程の四輪独立なんとかなんですね。
「ただしこの後少ししてから発売される車種では、この機構は割愛されてしまう。同じレッドラインタイヤでも、トミカみたいに1軸に2つのタイヤが繋がって、ポリ製の板でサスペンション機能を設ける形になる。さらに後になると、サスペンション機能がオミットされちゃう。コスト削減とは言え、これはちょっと哀しいですね」
AEさんはホントに哀しそうな表情になった。
7
さて、AEさんの興味は、少年期になるとミニカーから他のおもちゃの収集に移行した。この話はいつかまた詳しくすることになるだろう。
ただともかくも、このちびっこは、絶えずおもちゃと共に在り、おもちゃを通して社会の仕組みを学習した。いい子にしてなければお小遣いがもらえない。お手伝いをすればお小遣いがもらえる。おもちゃが欲しいからいい子でいる。
まったく良い教育だったものだ。
おもちゃを買うために生きていた。
そして1980年代、すっかりミニカーのことを忘れていたAEさんは、おもちゃ屋でホットホイールに再会した。ツインミルという特徴的なデザインは、間違いなくホットホイールの一車種だった。
そういえばホットホイールってあったよなあ。・・・あれ、でも箱に入ってたっけ?
なんだか変だった。
その頃店頭に並ぶホットホイールは、ミニカというブランド名の刻まれた赤い紙箱に入るようになっていた。
試しに買ってみるとタイヤも固く、弾まなくなっていた。音も違う。
気がついて周囲を見渡すと、昔のままのホットホイールはどこにも見つからなかった。
それでは自分が知っていたあれは、一体どこへ行ってしまったのだろうか?
マテル赤箱
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さらに時は経つ。
AEさんはいっぱしのおもちゃコレクターとして成長し、社会人となった。
かれの知っていたホットホイールは完全にどこからも無くなっていた。
ある日、なんとなく虚しさをを感じたAEさんは、家の押入をごそごそやって、当時いちばん遊んでいたホットホイールを発掘した。
紫のスペクトラフレームのシルエットという車種。一番初めに買ったブリスターパックのやつで、度重なるコース走行に塗膜は剥がれ、ホイールのメッキは擦れて無くなっている。だがテーブルに降ろした時のカチャッという接地音、サスペンションのグッという沈み込みは健在だった。
・・・そうだ、これだこれだ。
懐かしい感触がAEさんの内部に火をつけた。
俺は、自分にとっての真の「ホットホイール」をもう一度集め直したい。
いや、集めるのだ。当時なかった財力がいまの俺にはある。「みずから自由にできる力」があるんだ。かつては買えなかった車まで、思いのままに買ってやるぜ。
それは多くのコレクターを突き動かす原動力ともいえる感情だった。
いつのまにか周囲の世界から消えていた<ホットホイール>を、俺はこの手で取り戻してやる。
AEさんは国際的なネットオークションのebayに登録し、かつてのホットホイールを猛然と探し始めた。
その頃を振り返ってAEさんは言う
見つけたモノは当時それほど高くはなかった。
ただし、取引することができさえすれば、と。
買い始めてすぐわかったのは「not sell internationally」があまりにも多いということだった。
ホットホイールは基本的にアメリカ以外に売らない。
ほとんどは外国との取引が面倒という理由だが、それ以外にこれがあった。
「アジアには売らない。日本人には売りたくない」
(お前らホットホイールをわかってない。
どうせ転売するんだろう? )
またそういうディーラーに限って、極上のホットホイールを持っているのだ。
AEさんは早くも日米自動車交渉の山に乗り上げた。