池田誠 / 『冒険王』 3

そもそも『冒険王』は、「イガグリくん」「ゼロ戦レッド」というような、オリジナル漫画に定評ある少年雑誌だったのだそうだ。

おそらくそれゆえにこそ、かつて彼らは一度、時代の波に乗り遅れた。

池田さんは語る。
「1960年代後半、テレビにおける第一次特撮ブームが訪れるんです。そのころ他の少年月刊誌はどうだったか。

たとえば『ぼくら』は、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」と立て続けに載せて、その写真を表紙にもグラビアにも出す、特集ページも組む、別冊ふろくはもちろんその他のふろくも、それにちなんだものを揃えて、大々的にアピールしました。
次に『少年画報』はというと、これは逆に連載中だった「マグマ大使」がテレビ放映され、それをメインに展開していきました。要は2誌とも、テレビの特撮と連携して発展していたんです」

では『冒険王』は?

「その時期の『冒険王』特撮ものといえば「魔神バンダー」と「豹マン」でした。
「魔神バンダー」なんて、表紙は飾るわグラビア紹介はされるわ、特集の増刊号まで出されて、渾身の売り出しようだったのですが、これがなかなかテレビ放映に至らない。なんと連載開始3年3ヶ月にして、やっと放映開始に漕ぎつけた。しかも放映期間はたったの3ヶ月」
「「豹マン」に至っては、グラビア紹介もされながら、ついにテレビ放映されませんでした。ウルトラシリーズを擁する「ぼくら」だの、「マグマ大使」をもつ『少年画報』だのと比べると『冒険王』はなんとしても弱かった」

結局、かれらはテレビの第一次特撮ブームにうまく乗ることができなかった。

だがそのブームも終わるときが来る。
そしてそれと同時に、週刊化の波がやってきた。

 

(魔神バンダー)

(豹マン)

1960年代末、テレビの第1次特撮ブームは終息した。

ほぼ同時期の1968年、月刊誌『少年』休刊。1969年、月刊誌『少年ブック』休刊。
代わって68年、週刊誌『少年ジャンプ』創刊。69年、週刊誌『少年チャンピオン』創刊。その69年、月刊誌『ぼくら』は週刊誌『ぼくらマガジン』となり、月刊だった『少年画報』も隔週刊化された。

「要するに少年月刊雑誌は、相次いで休刊し、どれもが週刊の波に飲み込まれてしまったのです」
池田さんは慨嘆した。

「秋田書店の月刊誌『冒険王』『まんが王』だけは、かろうじて持ちこたえていたのですが、1971年6月号をもって『まんが王』は休刊し、『冒険王』に統合されました。週刊化・隔週刊化で生き残りを図った『ぼくらマガジン』『少年画報』も、ほぼ同時期にけっきょく休刊します。戦後のちびっこたちを支えてきた少年月刊雑誌は、ついに『冒険王』一誌になってしまいました」

だが『冒険王』本誌は、1971年半ばからそのあと13年間も生きのびる。(最後の1年ちょっとは『テレビアニメマガジン』と改名)

池田さんは言う。
そこには1971年に始まる第二次特撮ブームの中での彼らの必死の模索があり、その中央に、この別冊72年秋季号は立っているのだ、と。

 

10

1971年、第二次特撮ブームが始まった。
翌1972年、それは最高の高まりを見せる。

池田さんは語る。
「1971年は「帰ってきたウルトラマン」「仮面ライダー」「スペクトルマン」(「宇宙猿人ゴリ」「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」と3段階で改題)だったのが、1972年には急激に増え、また子供向けヒーローアニメも数々放映されるようになりました」

1971年初頭、『冒険王』は、「スペクトルマン」をメインにし、第1次のときはいまいち乗り切れなかった特撮ものを主軸に据えた。また同年11月号に「仮面ライダー」のグラビアを載せた。それは第二次特撮ブームに完全に狙いを定めた一大転換の始まりだった。

池田さんいわく、『冒険王』は今度こそこの特撮ブームに、本気の、死に物狂いの照準を合わせた。
それまでオリジナル漫画を看板としていた彼らは、特撮やアニメのマンガ化作品を次々に掲載してゆく。扱う作品は段階的に増え、1972年には、講談社が握っていた「仮面ライダー」「変身忍者嵐」「超人バロム1」「デビルマン」などや、小学館の「快傑ライオン丸」「サンダーマスク」が、網羅的に『冒険王』で読めるようになった。

さて別冊については、彼らは、月刊『冒険王』本誌とは別に、別冊『冒険王』のほうへ、特撮やアニメのグラビアや特集図解を一気になだれこませた。

『冒険王』本誌は従来どおりオリジナル漫画も掲載し続けたが、別冊は、72年夏季号から、それまでほとんどの紙数を割いていたオリジナル作品を一掃し、テレビの特撮やアニメのマンガ化作品に絞り込んだ。
グラビアや図解の比重を増やす分、本誌に比べて1話の紙数を大幅に減らす。
別冊冒険王を徹底して特撮とアニメの牙城にすること、それは、カラーグラビアや図解を極端に盛り込むことと、当代人気作のマンガ化作品を横断的・網羅的に掲載することで、実現された。

この圧倒的なスタイルができあがったのが1972年のこの別冊秋季号であり、同時にこの号はその最も充実したレベルを達成しているのだ、と池田さんは言う。

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