星まこと / アニメ探究 1 『白蛇伝』『宇宙戦艦ヤマト』『鞍馬天狗のおじさんは』

「何が好き?って、アニメが好き。
作品? ありすぎて答えられないでしょう。
タツノコの劇画調も好きだし、東映のロボットものも好きだし、ギャグ調も大好きだし、スポーツアニメも好きだし、好みはわかんないですね。

東映の『白蛇伝』、ぼくはあの時代に生きてないかもしれないけど、パイニャン可愛いとか、あ、この表現すごいとか、『わんぱく王子の大蛇退治』、あの空中戦、大蛇がぐわああーっと、あれはでっかいスクリーンで見ないとわからない。やっぱり、ああこれ興奮するなあと思って。好きですよ、だから。
『どうぶつ宝島』も好きだし、『長靴をはいた猫』の、最後にドクロを持って「朝日よー!」って階段のぼってくシーンとか、わくわくしますよね。
じゃあお前のベストテンは何だと訊かれると、ぱっと答えられないんですよ。わかんない、もしかしたらぼくがいまだに成長してない子供だからかもしれない。だけど、逆にそれだけ好きなものがありすぎるから、だからこれだけ人に訊きにいけるのかもしれない。

これ、『亜空大作戦スラングル』っていうアニメの原画です。敵のロボットにやっつけられる味方の防衛軍の兵隊の、かわいそうな末路です。ほら、パラパラやってみてください。

これは爆発の煙の表現です。80年代、爆発シーンって急激に進化したんだけど、動画ではよくわかんないですよね。さあお立ち会い、この迫力のない鉛筆の絵が、セル画になったらどうなるか。ほら、破片が出る、火の粉が出てくる、エアブラシが飛んでるから。

全然違うでしょう?
これがセルの魅力なんですね。いまデジタルでこういうのはない。セルの質感みたいなのはない。これは家内制手工業、今はもう失われた仕事です。
いいキャラのいいシーンだけじゃない。こういう素材がすごい好き。こういうの、普通のマニアは捨ててしまうようなモノかもしれないけど、ぼくにとっては大事なんです」

「体格がいいから小学校の頃は剣道に通ってました。
でもなにせマンガ好きで、それでアニメ。
とにかくアニメが大好きだった。好きなキャラクターの絵が欲しかった。カッコいい絵が欲しかった。
でも昔はアニメの絵なんて身近になかった。アニメの絵が残るなんて思わなかったですよね。雑誌に掲載されていると絵が違ったりとか。
なんであんなに欲しかったのかなあ。すごく欲しかった。アニメの絵が。

印刷物としてアニメが無かったから、テレビの画面を写真に撮って。
当時唯一あったのはミニカード。あの頃のちびっこにとって、正直いって特撮以外は1ランクも2ランクも下だったんですよ。写真じゃなく絵に描いたものなんて。だからアニメの絵を集める人なんかいなかった。ミニカードの会社もそう思ってたと思うんです。
でもぼくはアニメの絵が欲しかった。
ミニカードは、『ゲッターロボ』とか『ガッチャマン』とか、フィルムの絵をそのまま焼いてくれたから貴重でした。ああ、画面の絵だぁ、ってすごく嬉しかったのを覚えてる。あの頃アニメの絵を手に入れるのはミニカードしかなかった。

アニメの描き手の違いに気づいたのはいつかって?小学校五、六年の頃です。例えば『タイガーマスク』、あれ毎回絵が違いましたよね。東映は毎回作画監督変わってたんで絵が違った。
なんで違うんだろうって最初はわからなかったんですよ。でも毎回テロップ見ている内に、あ、この人の時は好きだなあ、荒木伸吾のときは好きだ、小松原一男のときは好きだ、とか。それでテロップ見てノートをつけるようになりました。この人の絵が好きってときはメモとって。リストをつくって再放送のときは絶対にこれ見ようとか、予定を組んでました。

九州の片田舎で、まわりはマンガなんか卒業です。自分ひとり、アニメを卒業できない。
でも逆に、だから純粋教育で、テレビを通じて通信教育を受けていたようなものかもしれないです」

「中2のときにアニメブームが来た。
1977年、『宇宙戦艦ヤマト』の映画が封切られたときです。ムックが出るわ雑誌は出るわ、小川宏のモーニングショーで声優さん特集をやったりとか、世間を巻き込む形でブームになった。アニメが子供のものから、お金を払って買うティーンエイジャーのものになった。

嬉しかったですよ。クラスのみんながアニメを見るようになった。ああ、よかった、これでおおっぴらにアニメの話ができる。

でもクラスメートとじゃ内容が寂しい。

当時北九州にはプロを輩出するようなマンガサークルがあって、マンガファンの土壌はあったんですね。そんな中、ひょんなことで高校生や大学生のお兄さんお姉さんたちと話す機会も出来たんです。金山さんの絵がいいとか荒木さんが好きとか、そこでは話すことができる。
その人たちに教育されるわけですよ。ハヤカワのSFの青の背を全部読めとか。半村良読んどけとか。再放送でみると半村良が『スーパージェッター』の脚本を書いている。豊田有恒読んでると、あ、『鉄腕アトム』の脚本書いた人だとか。だんだん繋がってくる。そういうのを活発に楽しめる仲間に入れてもらえたのは、すごく恵まれていた。

レッドツェッペリンを教えられてブリティッシュロックを聞き始めたり、ラジオもがんがん聞いていた。当時ラジオがサブカルの条件だったから見聞はどんどん広がった。高校ではR&Bに目覚めて、音楽も学生時代ハマりました」

星さんが初めて買ったセル画

「もともと本は好きだった。小学生で名作全集を読み尽くして、あとは江戸川乱歩とかモーリス・ルブラン、コナン・ドイルとか。
思い出すのは、伝記ものが好きだったこと。野口英世、ファーブル、リンカーン、ワシントン、偉人の伝記が大好きだった。でもこんな人になりたいとかっていうんじゃなくて、こんな時代にこんな人生があったんだというのを知るのが楽しかった」

高校のときノンフィクションで出逢いがあった。

竹中労『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』(1976年 白川書院)
高平哲郎『みんな不良少年だった  ディープ・インタビュー』(1977年 白川書院)

竹中さんのは、鞍馬天狗をやった嵐寛寿郎の話の聞き書きです。口調からなにから克明に書いている。テープを録らず、全部手書きでやったらしい。
高平さんは「笑っていいとも」の構成作家をやった人で、赤塚不二夫とか堺正章とか当時とんがってた人たちにインタビューした、これも聞き書きの本。当時は知らない人もいっぱいいたんです。でも面白かった。ひととなりがよくわかって。みんな若い頃だからけっこうギラギラしてる部分が出てますよね。
ああ、こういう人生の描き方があるんだ、ってこのとき気がついた。こんなノンフィクションの世界があるんだ、こんなに人間が浮き彫りになる手法があるんだ、って。これはものすごく大きかった。今思えば、ぼくのアニメインタビューのルーツはここにあるのかなあと思います。

自分のインタビューも、出来ればこういう、しゃべり口調とか動作まで、読者が体感してくれるようなものにしたいなあ。それでこの人たちが、この中に生きている、この本をひらいてくれればいつでもこの人たちに会える、そんな感じに思ってもらえれば嬉しい。
竹中さんも高平さんも取材対象に対する愛というかリスペクトがある。リスペクトしてるから人を書けるみたいなところがある。ぼくはものすごくそれに影響を受けている。これがぼくの教科書です」

「大学入学で上京し、まんだらけに毎週のように通った。
まんだらけがまだ中野ブロードウェイの3階の一店舗だけだったときのこと。何度も通って古川さんに顔を覚えられて。

1999年、古川さんに呼び出されて、まんだらけのカタログに載せるアニメインタビューを頼まれた。ちょうど『ルパン三世』特集号で、誰がいいかなって訊かれて、みんなは宮崎さんとか大塚さんに行くでしょうけど、ぼくは新ルパンの北原健雄さんって言った。そしたら「あ、面白いねえ」って。「じゃあ、やってくれる?」って言われて、へえっ?っみたいな。ぼくはあくまでお手伝いをするって感じだったから。
北原さん、この本の最後のほうに載ってますけど、ホントはいちばん最初のインタビューなんですよ。その意味ではぼくも初々しさがないですね。普通にしゃべってますもんね。

評論家じゃない。意味づけはしない。原液のまま真空パックみたいにして残しておく。読んだ人が時代を飛び越えて、あ、このひとはこんな人物だったんだ、と思ってくれるような記事にしたい。その人がいなくなってもこの本によって対話ができる、それをめざしてやっています」