ノートはむずかしい。それはまず絵というものをめぐるむずかしさである。

 先述したが1963年、手塚治虫は虫プロを設立し、国産キャラクタービジネスを本格的に始動させた。漫画とアニメは連動し、作家たちは個人でなく活動していた。キャラの絵にはその歴史が刻み込まれている。この絵は誰が描いたのか。描き手はどんな立場で関わっていたのか。

 怪獣ノートの表紙絵を小松崎茂などそうそうたる挿絵画家が描いたのはよく知られた話だが、その絵と写真の比重についても堤さんは各社を見比べ、首をひねる。セイカと昭和の怪獣ノートに写真がほとんど出てこないのはなぜなのか。怪獣の写真は極東ノートが圧倒的に多いのだ。これは本当に作家性だけの問題なのか。表紙の写真の使用権が関わっているのではないのか。

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 版権のむずかしさもある。堤さんは1冊の鉄腕アトムのノートをみせてくれた。

 緑の渦巻きを背景にした鉄腕アトムの絵。裏に極東ノートの印字がある。アトムのキャラクターは確かセイカノートが押さえたと聞いていた。

 

  

 漫画家志望の少女が使ったか、ページにはオリジナルの少女マンガがびっしり描かれ、横に「昭和40年3月」と書き添えられている。

「こういう書き込みが手がかりになるんですよ。このノートはそれ以前の発売だとわかるから。昭和40年(1965年)あたりから、極東もアトムを出すんです。アニメのアトムはセイカ、でもマンガのアトムは極東、みたいな別ルールができたのかな」と堤さん。 

 極東ノートのアトム。それは今までの版権関係とは異なったルールの登場を示唆している。……アニメではない、漫画の鉄腕アトム。     

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 企業はいつそのノートを発売しようと思ったのだろう。堤さんはいつもそこを考える。ノートの発売はどのタイミングで決まるのか、どのくらいの頻度で出されたのか、それはその作品への期待と評価に繋がっている。スポンサーや発売元の意識まで堤さんは執拗に追ってゆく。

 そういえば、海外作品のノート蒐集をめぐってどんな作業をしているのかを聞き、わたしはびっくりしたことがある。なんとまあノートと同時に番組探しもしているのだった。

 「基本的に昔の海外作品ってソフト化されてないですからね。再放映されるのはだいたいディズニーかハンナ・バーベラくらい。当時何が流れてたかよくわからない」

  そこでユーチューブで海外の古い動画を見るのだという。海外の人がアップしてくれたのを幾つも見てゆくと、かつて自分が見たことのある画面が不意に現れる。同じ人がアップしたものは時代や傾向が似かよっている。紐付けされた作品をたぐり、他の人と情報交換しながら、当時流れていた作品をさがしてゆく。

 テレビの制作力がまだ低かった頃、テレビ局はさかんに海外作で枠を埋めていた。堤さんいわく、この埋め方がなにしろめちゃくちゃで、5分間の穴埋めで使うときは新聞のテレビ欄にタイトルも載らない。同じ番組をしばしば別の局で流したが、タイトルも声優も変えて作り直したりするので同じものとはわからないのだという。 

 ノートを探すだけではないのだった。ノートと同時に放送作品を探し、双方の繋がりを確認している。ノートの有無からその番組への期待度を跡づけたり、誰がどの作品の版権を穫りに行ったか作品を買い付けた代理店を確認したりと忙しい。  

「チェコのチェブラーシカなどが、1960年代すでに放映されているんですよ。」

 チェコアニメは当時かなり買い付けられていた可能性がある、そう聞いてわたしはまたびっくりする。チェコアニメへの注目は比較的近年のことだと思っていた。

「あと、うっすら記憶にあるんだけど、頭が三つある人間が出てきて、一つの頭がしゃべりの出だしに「昔のひとは言いました」って言ってから話し出すアニメがあるんですよ。あれが何だったのかどうしてもわからない」

 

 自分の記憶だけでない。誰かの記憶の中にぼんやりと浮かんでいる映像がある。それらを追ってテレビ欄の穴をいちいち埋めてゆくような作業は今やらねば永久にわからないが、今だって見果てぬ夢だろう。  

 これはいったい何なのか。なぜこれはそのときそこに存在したのか。

 わたしはこの話を聞いたとき、初めて堤さんの蒐集熱の行き着く先を知ったのだった。余すな漏らすな、堤さんは当時の状況をまるごと再現したいのだ。

(堤哲哉『日本懐かし特撮ヒーロー大全』(2019 辰巳出版) 年表式の構成に、当時のテレビ欄が組み込まれ、堤さんの方法と関心が詰まった一冊となっている)

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