堤哲哉 / キャラクターノート3

    1966年、「ウルトラQ」「ウルトラマン」が放映され、第一次怪獣ブームが始まった。怪獣というキャライズムの到来に乗りキャラノートも最盛期を迎えていったと堤さんは語る。極東ノートは「ウルトラQ」を、昭和ノートは早めに「ウルトラマン」に手をつけた。

「ぼくたちは極東アレンジって呼んでるんですけど」

 むりやりのコラージュ、と堤さんは言う。「ウルトラQ」はヒーローが出ず怪獣しかいない。ドラマの中では考えられない構図の表紙、何体も怪獣を寄せ集めた表紙は、広く知られる極東ノートの特徴となった。 

 ノートの盛況は、発売される種類の数にも如実にあらわれた。10円小サイズ2種類、20円小サイズ2種類、20円大サイズ2種類、計6種まで発売された、と堤さん。19674月~9月放映「キャプテンウルトラ」は、2クールで12種類のノートを出した。「ウルトラマン」は10円ノートだけで1弾に各6種。キャラクターノートはまさに全盛期を迎えていた。

  テレビは常にノート業界を牽引し続けた。だがテレビ化されていなくとも、人気漫画ならノートが出ている可能性はあった。ノートの表紙絵は、漫画家の良いアルバイトでもあったらしい。超人気作家も下積み時代いろんなキャラを描いている。そしてまた大先生の作品を各誌に描くスタッフたちも、おおいにノートの絵を描いた。 

「おかもとノートが、桑田次郎のすごくいい絵のノートを出しているんです」と堤さん。

 桑田次郎のノートは非常に充実した数量が確認されているという。それぞれの絵の質も良い。桑田次郎は、そもそもの絵のキャッチーさに加え、ノート製作との良い関係性に恵まれた作家であった。

 少女漫画からのノートも多い。堤さんは楽しげにそちらのノートも見せてくれたが、少女漫画は奥が深すぎて残念ながら研究からはあえて外すそうだ。

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 怪獣ブームは強烈なキャライズムの時代であった。だがその強烈さゆえ、怪獣ブームが去ったときキャラノートの勢いもまた下降していったと堤さんは語る。

 1967年頃値上げがあった。10円ノートがなくなってゆく。71年頃、国産アニメがどっと量産され出した。海外作品の受容が減って、海外物ノートの製作はぱったり途絶える。 73年、オイルショック。ノートの紙質も粗悪になった。ノートは文字通り吹けば飛ぶようなささやかさで時代の風にもまれ続けた。77年、劇場版「宇宙戦艦ヤマト」公開。アニメブームが列島を襲い、キャラノートは徐々に学童物のくくりを越えてゆく。堤さんは語る。それらはしばしばオタクショップで売られるようになり、そのビジネスは新たな枠組みの中で語られてゆくだろう、と。