堤哲哉(仮面ライダーカード)

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    堤哲哉(仮面ライダーカード) / プロフィール

    1960年東京生まれの埼玉育ち
    東京デザイナー学院卒業。特撮研究家、ライター。
    敬愛する東映プロデューサー・平山亨氏製作の「仮面ライダー」など、主に昭和の特撮、アニメ作品関連の記事を執筆する。えむぱい屋代表。

    小学生時代に仮面ライダーカードの収集に熱中。
    大人になって収集を再開、同人誌を経て1993年、著書「仮面ライダーカード」を出版。仮面ライダーカードの分類を確立し、ライダーカード研究の文献学的基礎を築いて第一人者の地位を不動のものとする。
    ライダーカード以外にも、数あるお菓子のおまけカード、駄菓子屋売りのミニカードや5円ブロマイドといった紙物のコレクション及び研究を進めている。

    『ザ・ウルトラブロマイド』(1997 扶桑社)『マグマ大使 パーフェクトブック』(1999 白夜書房)『ゴジラブロマイド大全集・・・東宝人気怪獣総進撃』(2000 エンターブレイン)『ぼくらのヒーロー伝説 昭和40年代アニメ・特撮ヒーロー大研究』(2002 扶桑社)『「悪魔くん」「河童の三平」完全ファイル・・・水木しげる原作テレビドラマ』(2002 青林堂)『仮面ライダーX,アマゾン、ストロンガー大全』(2004 双葉社)『ウルトラヒーロー完全ガイド』(2012 メディアックス)  など、著書・共著多数。

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    2016年9月

    久しぶりに会った堤さんはずいぶん痩せていた。入院、手術の話は聞いていたが、大病から生還した人という様子を漂わせている。
    三連休の中日で人出はすごい。しかも雨天。雨が降ると手術痕がひっつれるような感じがするらしく、堤さんは始終胸元をさすっていた。
    ・・・本日はご足労いただいて、すみません。
    「いえ、もう三ヶ月も経ってるんでね。家にばかりひきこもっていたからそろそろ外に出なくちゃ。きょうはリハビリを兼ねていい機会です」
    堤さんはシャツをずらして傷跡をみせてくれた。
    ・・・あ、ちょっと仮面ライダーみたい。
    「そう、ほんと○○人間ですよ~」

    わたしたちは東口の地下にある喫茶店に落ち着いた。
    堤さんはあたたかいミルクティーを注文し、ほっとした顔をみせた。
    「まずは正統中の正統をということで、持ってきました」
    堤さんはテーブルの上にカードの入った透明ケースを置いた。
    「14局の46番」

    宙返りする仮面ライダー。
    空は曇天のようにくすみ、身をひねったライダーの顔は撮影の角度でよく見えない。
    これが最後の最後まで出てこなかったという幻のカードなのだ。

    裏面を返すとこのように書かれている。

    「46
    ラッキーカード
    このカードを下記の所へお送り下さい。仮面ライダーカードを入れるアルバムをお送りいたします。
    〒321ー31 宇都宮市平出工業団地 カルビー製菓 ライダー係

    仮面ライダーのひみつ
    人間の10倍のつよさの人工筋肉。じどう車もひとけりのライダーフット」

    14局に属するライダーカードは初版で1~60番まである。かつてカードマニアの間では、その中の46番が出てこないのは周知の事実だった。誰もがこれを探していたが見つからなかった。あまりに出てこないので、もしかしたら存在しないのではないかとまで言われていた。
    だが堤さんはそのとき推理していた。
    まだ見ぬ14局46番は、きっとラッキーカードなのだろう、と。

     

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    ここで、あまりにも有名な仮面ライダーカードの基礎知識を少しおさらいしておきたい。

    仮面ライダーカードとは、1971年カルビーが売り出した仮面ライダースナックに、1枚ずつ付けられていたカードである。子供たちに大流行していた仮面ライダーの写真がおもてに載り、裏面に解説が書いてある。カードには通し番号がついていて、当時、1~546番まで発行された。

    テレビ放映と並行した販売拡充などに応じ、カードは何度も版が切り替わった。14局版→25局版→明朝版→ゴシック版、そして、新カード明朝版、新カードゴシック版。さらにその後、記号版。

    ちなみに14局、25局とは、「仮面ライダー」を放映したテレビ放映局の数を表している。明朝版、ゴシック版は、裏面の説明の一部がそれぞれ明朝体、ゴシック体で書かれ、記号版は、裏面右下に、N、S,T,TSなど、記号が入る。今回の話題となる14局版は、ライダーカード最初期の発売分であり、1~60番の初版はここに属している。

     

    (14局/25局
    明朝/ゴシック)

     

    次に、ラッキーカードとは、それをカルビーへ送ると、ライダーカードアルバムと交換できるという特典付きの仮面ライダーカードだ。

    一般的に、ラッキーカードは、多くの通常タイプの中にたまに混じっている。
    ところがここに、きわめて限られたケースだが、全てラッキーカードで出てくるカードがある。14局版の41番と46番、25局版の35番と73番がそれだ。これらの収集は至難のわざであり、よって仮面ライダーカードの「四天王」と呼ばれている。

    4枚の中でも、14局41番と46番はさらに特殊だった。
    普通、ノーマルカードの裏面は、写真の解説だ。
    普通、ラッキーカードの裏面は、アルバムと交換する送り先のお知らせだ。
    だがこの2枚のラッキーカードには、解説もお知らせも両方載っているのだ!

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    堤さんはあのとき推理していた。
    みんなが血眼になって探しているのに現れない14局46番。それはきっとラッキーカードなのだろう、と。

    この推測には理由があった。
    当時、14局46番同様出てきにくいカードとして、14局41番があった。
    「41番がラッキーカードだというのはわかってたんですよ。発売されたTVシリーズのライダーLDボックスの特典に、当時のCM映像が入っていて、そこに41番が映っているのはコレクター間で知られていた。それがラッキーカードだった。ならば同じように出てこない46番も、同じくラッキーカードなんじゃないか」

    推測はしたが証明ができない。
    何しろ現物がどうにも見つからないのだ。
    たとえ手元になくても、大概それを見たことがあると言う人間くらいはいるものだ。それなのに14局46番は、そもそもそれを見た者すらいないのだった。そうこうしている内に41番のほうは見つかった。46番の見つからなさはいよいよ神秘めいてきた。これはもしかしたら世の中に存在しないのではないか、そんな説まで出るほどだった。

    堤さんのもとに或るテレビ番組への出演話が持ち込まれたのは、そういう時期だった。
    番組の名前は「開運!なんでも鑑定団」。
    1994年からテレビ東京系で放映された人気番組である。

     

     

    「開運!なんでも鑑定団」

    この名前を覚えていらっしゃるかたは多いだろう。身近なお宝を鑑定して値付けするという番組で、今まで必ずしもお宝とは見なされていなかったさまざまな品に値段がつく、その驚きと物珍しさが人を惹きつけた。
    ブリキのおもちゃコレクションで有名な北原照久氏もこの番組に出演している。
    当時既にライダーカードの研究者として知られていた堤さんに、この番組からお呼びがかかったのだ。
    何かを探すのにこれ以上の機会はなかった。
    堤さんは番組で視聴者に呼びかけた。
    「仮面ライダーカードの14局46番を、1枚10万円で買います」
    いま、堤さんは思うのだ。
    あそこからすべてが始まった。
    10万円という金額が意味していたものは、ただの数字ではなかった。
    世間におけるライダーカードの価値を上げる戦いが始まっていた。

     

     

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    堤さんはテレビを通して全国に呼びかけた。
    「仮面ライダーカード、14局46番を探しています。持ってきてくださったら10万円で買います」
    カード1枚に10万円。
    それは当時およそ信じられない法外な値段だった。

    堤さんは語る。カードやブロマイド、いわゆる紙モノはコレクション関係では安かった。
    「今から30年前、ぼくが23~24歳くらいの頃、よく下北沢のなつかし屋とかオムライスとかヒーローズとかに行ってカードを見てたんだけど、紙モノはホントに安かった。
    「ヒーローズでは、店のおじさんに認められるまでは、入店するのに100円とられるんですよ。ぼくらみたいなカード系のマニアが行って、長時間店でじーっと見て、数百円しか買わない・・・だからカード系はうとまれたんだな」
    或るときヒーローズで珍しい500番台の仮面ライダーカードを3枚見つけ、速攻で買おうとしたら、それだけでは買えなかった。
    「その場にある36枚全部で1万5000円なら売ると。良いのも悪いのもまとめて買えと。ライダーカードの値段なんてあって無いようなもので、要は1万5000円くらい落としてもらわないとめんどくさい、そういう売り方でした」

     

    呼びかけに応じて、ついに所有者が現れた。
    しかも二人!
    堤さんは二人にそれぞれ10万円払って、その両方を買い取った。
    初めて見た14局46番は、予想通りラッキーカードだった。

     

     

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    だが堤さんは、そのとき別のことでもドキドキしていた。
    14局41番を持参してくれたひとりが、アルバムに他の珍しいカードもいっぱい入れていて、そちらも買い取りたくてしょうがなかったからだ。

    ドキドキするのはさらに理由があった。
    相手がカードを入れていたのが、よりによって例の仮面ライダーアルバムの中でも、最もレアでいわくつきのビニール仕様のものだったのである。そこに入れておくと、カードがビニールにぺったり貼り付いてダメになるという悲劇を生み、しばしばカードもろとも捨てられてしまったアルバム。
    横目で見ながら堤さんは手に汗握った。

     

    番組終了後、堤さんは早速その相手に交渉し、カードとそのアルバムをまとめて50万で買い取った。奇跡的なことにカードは一枚も貼り付いていなかった。
    「聞けば持ち主がしょっちゅう取り出して眺めてたんだって」

    カードの状態を守る方法が、それを放置せず頻繁に取り出して眺めることであったというのは深い話だ。その所有者もまた、カードを日々愛していた人だったのだ。

     

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    ここで、このときの堤さんの立ち位置を知るために、仮面ライダーカードの研究史を少々振り返っておこう。
    最初期のバイブルとされた同人誌が、いまわたしの手元にある。

    「レッツGO!ライダーカード」
    奥付を見ると昭和60年(1985年)、300部限定。
    発行は東映作品研究会。責任者は岡山の藤井政志氏。

    これは1~546番までのライダーカードすべて、おもての写真と裏の解説文のコピーを載せた初めての本である。
    他にラッキーカード、カードアルバム、カードの封入袋やアルバムの封筒のコピーまでついている。カードの写真がどこから取られたものかも、本編と照らし合わせて出来る限り確認し、補足解説ページでは本編一話あたりの枚数も示している。
    まだ14局、25局の区別もなく、41、46番はすべて25局版で掲載しているが、同一番号での異種カードの存在も載せ、ゴシック体と明朝体の文字があることやカード裏の右下にある数字にも言及するなど、その後のライダーカード研究がたどった道筋を指し示す一冊となっている。
    PCに画像を取り込むなどといった芸当は夢のまた夢、まだワープロも一般化していない時期であった。手書きの編集後記の文章からは、これを形にするまでの血のにじむ苦労が窺われる。敬意をこめてこの文章をここに載せたい。

    ・ふぅー、何とか終わったです。問題は仕上がった時の再現性のみだが。・ホワイトスクリーンを、カードの下に敷いてコピーしています。(表のみ)それを原稿に貼るという方法で。・裏が、たまにかすれているものがありますけど、今一度コピーする気にもならんのでそのままです。・理想は、オールカラー!でしたが、それもままなりませんので。ここまでやれば本望です。スナックの空袋とダンボール箱が揃えば完璧だ。・では、お楽しみください。・発行が遅れてごめんよ。

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    「レッツGO!ライダーカード」の後、1986年、講談社が「仮面ライダー怪人大全集」を出版した。メジャー誌で仮面ライダーカード全体が紹介された最初の本であったことは、言っておかなくてはならない。

    546枚のカードが白黒で並べられ、解説の要旨が載せられた。

     

    だがそのとき、堤さんやその周囲のマニアたちは、ちっとも嬉しくなかった。
    この本のカードを紹介する内容の質に、満足がいかなかったからだ。

     

     

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    堤さんは言う。
    「ぼくは子供のとき、ライダーカード1~546を通すのにあと2枚というところまで漕ぎつけていたんですよ。ただ508と545を持ってなかった」

    「専門学校に通っていたとき、やっぱり仮面ライダーカード好きの奴がいて、かれがアルバムに545を持っていた。そのとき545を初めて見た。親切に彼が譲ってくれたので、残りあと1枚となって、下北沢のヒーローズに行った。500番台が3枚だけ出ていて、その中に508があったんです。36枚まとめて1万5000円払えと言われたのはそのときのこと。それで1~546までが通った」

    「子供時代一緒にライダーカード集めをやってた早島くんに、売ってるところがあるよ、と教えてあげて、早島くんもまた集め始めた。それで一緒に下北沢のショップに行くようになり、ぼくは明朝、ゴシック、N版の三つをやり始めた」

    「14局、25局にいつ気が付いたかですか。それは子供時代にもう意識していました。説明がカードのおもて下部に2列で書いてある、それで二列文字と呼んでいました」

    14局と25局 (二列文字)、明朝、ゴシック

    「明朝とゴシックという字体の違いにもその頃気づいていた。仮面ライダーアルバムは3枚並べる形になってるじゃないですか。だから同じ番号で、二列文字、明朝、ゴシックの3枚並べとか、小学生時代からやってました」

    「そういう分類自体は小学生のときに、漠然ともう出来ていた。だから大人になってやり始めたら、あとはもう集めるだけですから」
    「ぼくは専門学校の後、印刷会社に勤めて、版の違いとか写植とかに敏感だった。そういう強みもあったかもしれない」

     

    「そうしている内に、『レッツGO!ライダーカード』を作ったメンバーのひとり、田口くんという人と知り合って、文章でこんな違いがあると見せてもらった。139番とか、そのへんを見せてもらい、文章違いの面白さに目覚めた。そうやって、段階を踏んで、徐々に深みにはまっていった」

    1992年、堤さんは初めての同人誌を出す。
    『スナック仮面ライダーカードスーパーカタログ』という本だ。

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    1993年、堤さんは、日本文芸社から主著『仮面ライダーカード』を刊行した。同人誌の内容を改めて世に問うて、一般読者への普及を意識した一冊であった。

    この中で堤さんは、1~546番のカードをカラーで並べ、ライダーカード弾数表というものを付けて、旧カードの14局、25局、明朝、ゴシック、そして新カード、という区別を明確に立てた。

    また、同一番号異種カードに正面から取り組んで、おもての写真の図版違い、トリミング違い、裏面の解説文の違いを挙げて、見比べられるようにした。

     

    <実は106~128のカードの特徴が、このトリミング違いの異種の存在なのである。正確には3種類に大別され、それぞれ明朝版(106~128)、ゴシック版(106~124)、記号版(カード裏面の下部にNやSなどの記号や数字が印字されている)に分けられる>(「仮面ライダーカード」190p.)

    前述したように、この違いを堤さんは小学生時代におおよそ認識していた。
    1~105までの14局、25局、そして106以降の明朝、ゴシック及び記号版の存在は、カードを集め並べる遊びへの没頭の中、おのずと浮かび上がっていた。
    子供時代の自分のアルバムにあったさまざまなヴァリエーションを、堤さんは、色味の違いも含めてこのとき一般に紹介した。

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    そして「なんでも鑑定団」の時が来た。

     

    「仮面ライダーカードの14局46番を探しています。
    持ってきてくれたら10万円で買います」

     

    14局という言葉は一般の視聴者にはわからない。堤さんは「鑑定団」でこまかく説明した。
    ライダーカードを分類して、14局や25局という秩序を打ち立てたのは堤さんだった。14局46番が出てこない、そもそもその欠損の概念そのものを提出したのが堤さんだった。
    堤さんは欠損という問いを立て、なぜ見つからないのかその理由を考えた。それはこのカードが「ラッキーカード」だからではないのか。堤さんは10万円という金額を使って、暗闇の中からそのカードを引きずり出そうとした。

     

    予想していたとおりのラッキーカード。
    今までの労苦に一筋の流れが通った瞬間だった。
    まだ見ぬものを表舞台に引きずり出し、仮面ライダーカードの体系化を完成させること、あのとき「なんでも鑑定団」で起きていたのは、そういう出来事だ。

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    堤さんは語る。

     

    「41番はライダーの正面向いた上半身の写真で、すごくカッコいいでしょう。これはカルビーに送ってアルバムと交換するより、手元に残しておきたいと思う子が結構いたんじゃないか。だから少ないながらも残っている。
    でも46番はこんな絵柄でしょう。子供だったら躊躇なく送っちゃったんじゃないかな46番は宙返りする仮面ライダーの写真だが、ちびっこ心に訴える派手さには少々欠ける。

     

    しかし、「なんでも鑑定団」の影響は絶大だった。
    それはすなわち、1枚のカードにこれほどの高値がつくという事実を、世間がはっきり認識したということであった。

    そのわずか1ヶ月後、「ハンマープライス」という別の番組で、14局46番に100万円の値がついた。

     

     

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    「14局46番、ぼくはその10年後に20万で買ったよ」

    その日同席していた亭主が、横からひょいと口を出した。
    「ソッコーで50万で売ったけど」

    ・・・売ったのか!おまえはァ!
    わたしは思わず声を上げた。
    「だって堤さんが持ってるからいいかなあと思って」
    ・・・ううーむ。
    家計的には完全に正しい判断だが、この場で聞くと若干忸怩たる思いもするのが我ながら恐ろしい。
    しかしあの「なんでも鑑定団」以降、カード1枚20万、50万という金額が当然のように口にされる時代になったのだ。

     

    堤さんは言う。
    「ライダーカードは大きい1枚の紙に110枚分を刷ってそれをカットするんですが、231~255番、まだ裁断されていない状態のものが見つかって、100万円くらいするそうです」「1面ぜんぶラッキーカードってのもあるみたいですねえ。これだと、1面付け110枚の内2枚もしくは4枚がラッキーカードという法則がガタッと崩れる。
    「TR9版、カードになったやつで、まだ現物確認されてないものが2~3枚あるらしい・・・90万でキンキーズが探しているというけど・・・今の人たちはお金のかけかたが違うからなあ。ちょっとついていけないなぁ」

    現在のカードマニアたちの投じる金額は、堤さん本人の思惑を超えた桁外れのものになっているようだ。

     

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    いま、堤さんは振り返って言う。
    「この歳月、紙モノの価値を上げるための戦いだった」

    「なんでも鑑定団」での14局46番、あれは堤さんの体系化の完成であり、また同時に、仮面ライダーカードの価値をめぐる、世間に対する挑戦の始まりでもあった。
    何しろ紙モノの値が低すぎた。
    まとめて幾らで売られるカードたち。
    ブリキのおもちゃや超合金などは以前から高額だったが、紙モノのコレクターでそんなに金を払う人間はいなかった。
    「カードやブロマイドに値段をつけよう、ってのが当時の目標だった」

    安価でいいじゃないか、ということではなかった。
    そのモノの価値を低く見られるということは、それらを知られざるまま闇に葬ってしまうことにつながっていた。人目をひく値段をつけて、埋もれている品を表舞台に引きずり出すことが必要だった。このはかなくいじらしいカードたちに値を与えること、正当な権利を与えて歴史に残るものとすること、堤さんのやろうとしたのはそのための戦いだった。

    「高くしたと批判する人もいたけれど、高くしないと価値観として人に認知されないでしょう。値段をつけることによってそのモノがおもてに出てくる。世の中に残る」
    「どうしても見つからなかった14局の46番、あれは10万円という値段があったから出てきたんですよ」

    けっきょくのところ、その値段は堤さんの予想を超えて上がった。
    14局46番の値は直後に100万円に跳ね上がり、20年という時を経てもその値段は変わっていない。そしていまも、数十万円をものともせず、日々レアカードを探し回っているマニアたちがいる。堤さんは思う。いま1枚150万でも払う人がいるのはこの10万円があったからなのだ、と。

    14局46番。すべてがこの1枚から始まった。
    仮面ライダーカードの価値をめぐる戦い。
    世に残すために値をつけるのだ。
    ライダーカードの存在が、歴史に埋もれてしまわぬように。

     

     

     

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    現在、わたしの亭主の持ち歩き用ファイルには、14局46番の偽カードが入っているらしい。おもても裏もカラーコピー。それを実際のライダーカードの両面を剥がした厚紙と貼り合わせてつくった、いかがわしさ満点の代物である。

    「オリジナルカードと呼んでね」と亭主。
    ・・・この馬鹿もんが。
    「これをどこかのショップに万置きしてこようかって盛り上がったことがあったなあ」
    ・・・万引きじゃなくて?
    「逆、逆。こっそり店頭に置いてくるの。わかる客は見つけてびっくりきゃー!ってなるじゃない」
    かえすがえすも、馬鹿もんが。

     

    閑話休題。
    今からお話しするのは、堤さんがずっと大切にしている一枚の仮面ライダーカードについてである。もちろん珍しいけれど、歴史を作った14局46番とは違う、もっとパーソナルな愛着に近い。それは1枚のエラーカードだ。

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    エラーカードは、主に印刷の間違いで生じる。
    裏が印字されずに真っ白なもの、裏に別の番号が入ってしまっているもの、おもてに対して裏がさかさまなもの、両面におもてが印刷されているもの。
    おもてが写真、うらが真っ白で何も書かれていない。そういう仮面ライダーカードは、単なる印刷ミスでない場合がある。コーティングがないタイプのライダーカードは、印刷を消しゴムで消せてしまうからだ。
    堤さんも図らずも作ってしまったことがある。
    「明朝のヒトデンジャー、股間に黒い点があって、消えるかなあと思って消しゴムかけたら消えちゃった」
    ・・・無念。
    のちのちコーティングが出てきたのでそんなことはなくなったが、こういうエラーカードは人為的な産物だ。子供が悪意なくやったり、大人が悪意をもってやったり。

    だが堤さんの愛着するエラーカードはそれとはまったく別物である。

     

     

     

    写真と解説が片面に重ねて印刷されていて、もう一方の面は白紙のまま。これは珍しい。このカードのように写真と解説の番号が一致している例はさらにレアだという。絵柄は6人のニセライダーで魅力的。しかもラッキーカードなのだ。

    これを堤さんは子供のころからずっと持っていた。

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    堤さんの子供時代・・・

     

    とにかく仮面ライダーカードが好きだった。

     

    小5か6のとき、カードが発売された最初のころ、友達と三人くらいでひと箱買った。そこは若干恵まれた子供だったかもしれない。ダンボールひと箱分のスナックをかかえ、どうやって処分しようか困って、そっと線路際に捨てた。いま考えたらもったいない話だ。そのとき雪が降りしきっていたのを覚えている。
    捨てながら帰ったのをお店の人が見ていて、おふくろに告げ口されたこともある。それで1ヶ月間、出歩いて遊ぶのを禁止された。

     

    当時、おまけのカードだけ取ってスナックを捨てるちびっこが続出し、社会問題になったのは有名な話だ。堤さんはまさにそれを地でゆくちびっこだった。

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    どうしてこれほどライダーカードに夢中になったのか。堤さんの本『仮面ライダーカード』(1993 日本文芸社)の序文には、その理由にふれた文章が見える。

     

    < もちろん「仮面ライダー」という番組自体が持っていた魅力がひとつ・・そしてもうひとつ、それまでの子供向けの商品に見られなかった、通し番号によるコレクション性も忘れてはいけない。さらには、そのカードの持つ情報性・・・テレビ放映に先行する予告となったことが、子供時代のボクらにとっては大きな魅力だった>
    <・・・集めていく楽しみは、何と言っても、通し番号をキチンと揃えること。ところがこれが難関・・というのも 番組の末期(ゲルショッカーとダブルライダーとの最後の攻防を描いた97~98話)の頃のカードになると、後番組にあたる「仮面ライダーV3」への移行期ということで、スナックも同調して準備を始めたため、発行枚数が少ないまま再販もされなかったのだ>

     

    また、もうひとつの魅力として堤さんが挙げたのが、<同一番号異種カード(同じ番号にも関わらず、図版 構図 解説文などに変更が加えられているもの)と呼ばれているカード逹>の存在だった。

     

    <ハマればハマるほど奥の深い世界へとボクらを誘い込んでいってくれてしまう>と堤さんは書いている。1~546の小さなカードたちには、番組の作り手や放映局や製菓会社、印刷所などのさまざまな立場が交錯して影をおとしていた。
    そこには現実のテレビ放映とはまた別の、迷宮のような小世界が出現していた。

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    カードだけ取って仮面ライダースナックを捨てる子が続出し、世間が騒ぎ出した。製造元のカルビーは、新種のカードを投入するのを二、三ヶ月間手控えた。
    14局と25局の初版が終わって106番が始まる手前の出来事である。その間、1~105番までのカードが繰り返し出続けた。
    そのとき堤さんは小学校6年生。
    とっくに105までなど集め切っていた。
    新種が出ない苦難の数ヶ月、堤さんはひたすら買い続け、その差異をじっと観察した。

    ようやく新種投入が再開され、再び仮面ライダーカード市場が加熱した数ヶ月後、やはり小6の堤さんが500番台を求めて買った中に、あのエラーカードが入っていた。

     

    あの時期、自分が小学校6年生だったというのは、おそらく運命的なことであったと、いま堤さんは思う。
    ライダーカードにハマった子供としては年かさだった。集めるだけで精一杯の幼さは無い。
    加えて個人の資質もあった。現象の奥を突き詰めずにいられない習性が備わっていた。

     

    14局、25局、明朝、ゴシック。
    体系化への道はすべて、既に小学生の堤さんの内側に在った。そしてまた、エラーカードへの関心も醸成されていた。
    たくさん買う子なら、誰もがエラーカードに遭遇した可能性はあっただろう。そしてたいていは、変なカードを引いたとがっかりして捨ててしまっただろう。

     

    だが子供時代の堤さんはずっと大切に持っていた。
    昆虫学者のように、規矩から外れた不可思議さを異種と直感し、特別なものとして大事にし続けた。
    これは堤さんの原点の1枚である。