池田誠(冒険王)

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    池田誠 / 『冒険王』

    1961年静岡県生まれ。
    小学生時代、雑誌「冒険王」、仮面ライダーカード、裏のみかん山での仮面ライダーごっこに熱中する。
    大学、大学院で国文学を専攻。現在、複数の予備校で国語科講師として教鞭をとるかたわら、特撮ものの研究およびライター業をいとなむ。

    「ロボット&ヒーローCOMIXスーパーガイド」(白夜書房)「学園マンガ読本」(宝島社)「少年画報大全」(少年画報社)「ぼくらのヒーロー伝説」(扶桑社)「キャラクター魂」(辰巳出版)「仮面ライダーX、アマゾン、ストロンガー大全」(双葉社)「甦れ!仮面ライダー黄金の時代1号2号V3!!」「甦れ!ウルトラ黄金の時代Qマンセブン!!」(竹書房)「仮面ライダー感動のエピソード」(メディアックス)「仮面ライダー1971~1984」(講談社)などに執筆。

     

     

    池田さんは『冒険王』その他古い雑誌を愛している。
    震災後は「彼らを疎開させる」と称して古雑誌入りの段ボール箱を各所へ送り、妻の実家にまで送りつけた。
    送られた箱を開けて舅は驚いた。中身について多少は覚悟していたものの、同じ表紙の古雑誌が何冊も出てくるのに若干の狂気を感じたのである。そこで娘に電話をし、同じモノがいっぱい入っているけど誠くんは大丈夫かいと訊いた。娘はため息をついて大丈夫ですお父さんと答えた。実は娘も本当のところ、夫がどこまで大丈夫なのかよくわからないのである。

     

    このブログは妻の両親も見ているのだ。大丈夫か池田さん。

    今回の一品は、別冊『冒険王』1972年秋季号

    別冊『冒険王』1972年秋季号

    池田さんが1971年以降の『冒険王』を集める上で、最後の一冊だったのが、この別冊1972年秋季号だった。

    池田さんは語る。

    「確か2000年か2001年、まんだらけのオークションにこの号が出されたんです。それまでそのオークションで、72年秋季号が出たのを見たことがなかった」

     

    「それでどうされました?」とわたしは訊いた。

    「とりあえず20万円つっこんだねえ」

    「全然知りませんでした」

    「そりゃ言いませんでしたから」
    池田さんは、当たり前でしょ、という顔をした。

    「なるほど。それで?」

    「18万円で無事落札いたしました」

    正確には18万100円。まんだらけオークションは、次点の客の入札額に100円足した金額が落札額となる。

    若干はしょりたがっている気配なので、ここはひきとめて詳しく訊く。

    このとき池田さんは、とことん行く気でいたのだった。どれほど探しても出てこなかった別冊『冒険王』1972年秋季号がついに現れたのだ。これを逃したら一生自分の手には入らないのではないか。池田さんはそれを恐れた。運命の神様に自分の覚悟を試されているように感じたのだった。

    そりゃ言えないはずだ。
    まあ、今さらびっくりしないけどね。

     

     

    『冒険王』は、1949年~83年(『TVアニメマガジン』と改題して84年まで)、秋田書店から発行された少年雑誌である。テレビの特撮やアニメの世界を柱とし、それらをマンガ化した作品をふんだんにとりあげた。通常の月刊誌のほか、年4回の別冊号(春季・夏季・秋季・冬季)(66年~74年)、年2回の増刊号(夏休み号とお正月号)を出していた。

     

    この別冊『冒険王』1972年秋季号の完本を、池田さんは前述のまんだらけオークションで18万円で落札した。その後、まんだらけの中野店で8万円で買った。ブロマイド欠4万円を友人の代わりに買ってやったこともある。ヤフオクで5万で落札したり、まんだらけ梅田店で切り取りあり2万5千円を即買いしたりもした。ほかにも状態の良いの悪いのたくさん持っている。
    さりとてそれで商売するのかといえば、そんな気もないらしい。そもそも買い手がつかないようなボロボロのモノまで大事にとってある。

    「とにかくそんなに傷んでない完本が10万円、もしくは切り取りありが3万円くらいで出たら、ふらふらとまた買ってしまいそうな気がします」と池田さんは言った。

    「ちょっと伺いますが、なんでそんなに欲しいんですか?」

    これはコレクターの周囲にいる者のおそらく永遠の問いだろう。

    「ちびっこ魂ですかね」と池田さんは答えた。

    わたしは疑り深い目で池田さんを見た。
    バカを言え。同じ雑誌を何冊も何冊も買うそんなちびっこがいるものか。

    3

    別冊『冒険王』72年秋季号。

    これが運命の一期一会。覚悟を決めてまんだらけオークションに臨んだ池田さんの執念は、おそらくその後の『冒険王』市場に飛び火した。

    池田さんは語る。

    「そのときまで『冒険王』にそんな派手な高値がつくことはなかったんだよ。でもそれがきっかけになったのか、そのあと同じまんだらけのオークションで、V3特集の『冒険王』73年夏休み増刊号がいきなり46万円まで跳ね上がった」
    「はああああ、まあわかります」
    「その値段で落札というのは、要するに40 万以上入札した人間がふたりは居たということです」
    「もしや片方はご本人じゃありませんか?」
    「ううん、ボク入れてないよ。ボクもその号がそんなに高くなるなんてびっくりして、売るぞてめえと思いながら見てたもん」
    「既にお持ちだったと」
    「そりゃ持ってましたよ」
    池田さんは胸を張った。
    「ほほう。しかしこの72年秋季号、何冊も見るのでそんなにたいしたものだとは思っていませんでした」
    「ぼくがいっぱい持ってるものは、基本的に世間には出回っていないものなのです」
    池田さんはさらに胸を張り、ふと気が付いたように「すみません」と言った。
    「?」
    「すみませんごめんなさい」

    ここで詫びてくるとは池田さん、イメージ戦略もはなはだしいが、そんなものは100年遅いと心得よ。以下、粛々と進む。

    (73年「冒険王」夏休み増刊号)

    「別冊『冒険王』秋季号についてですが、そもそも秋季号そのものが、あまり市場に出てこないのです」と池田さんは言った。

    「年2回の増刊号は、なんだかんだ言って市場に出まわります。夏休み号は8月中旬の発売だから、ちびっこはお盆で田舎に帰って、おじいちゃんおばあちゃんに買ってもらう。お正月号は、発売は12月中旬だけど1月まで売っていて、これはたいていお年玉で買うことができました。
    この別冊冒険王も、夏季号や冬季号は夏休みとお正月の発売だし、春季号なら3月発売で、進級~春休みという臨時収入シーズンにあたります。
    ところが秋季号は10月発売です。ちびっこが何のイベントも当てにできない暗黒の時期じゃないですか。いちばん金欠なときの発売だから、そもそもあまり買われていないんじゃないかな。出てくる数も限られてる気がします」

    秋季号が希少なのはよくわかった。

    もうひとつわかったことがある。
    こづかいを軸に回転する池田少年のせちがらい一年である。
    どうやら遠足や運動会というものがほぼ意味をなさず、臨時収入が最大のイベントという子供時代を送っていたらしい。
    こんな子がおとなになって、自分の金を持ったらどうなるか。

     

     

    「それではこの号の巻頭から見てみましょう」

    そう言って池田さんは別冊『冒険王』72年秋季号を大事そうにひらいた。

    ①デビルマン絵はがき
    ②口絵ポスター
    おもてにサンダーマスク、裏に「映画怪獣大行進」(ゴジラ、ガメラ、ギララなど)
    ③テレビ怪人カラーカード(8ページ)
    (仮面ライダー、超人バロム1、快傑ライオン丸、変身忍者嵐、計4枚)
    ④テレビ特報
    (ライオン丸(7ページ)、仮面ライダー(8ページ)、
    ⑤怪人などの図解
    バロム1(3ページ)嵐(4ページ)ライオン丸(4ページ)仮面ライダー(4ページ)、他に二色刷り(赤黒、青黒)
    ⑥帰ってきた映画怪獣(7ページ)
    ⑦映画・テレビニュース・・・天地真理初主演映画の情報
    構成:特撮かアニメのマンガ化作品

     

    「この中でちびっこが真っ先に切り取るのが①のデビルマン絵はがきと③のカラーカードです。別冊『冒険王』に付録はついていないから、この絵はがきとカラーカードが、いわゆるとじこみ付録ということになります。まずたいていのちびっこは本能的にここを切る。これは切られているのが当たり前と思うくらいでちょうどいい」
    「え、そうなの?」
    「そうです。逆に言えば、ここを切らないちびっこは真のちびっこではござらぬ。さってさんが、見た途端『いや~切られるものが切られてますねえ』と笑うのがこの部分です」
    高橋さってさんの偉大な不動心に賛辞を送り、池田さんは言葉をつづけた。
    「切り取りありとはたいていこのことを指しています。かつての所有者であったちびっこたちの、いわば本能の爪痕なのです」

     

     

     

    「では次に、掲載されているマンガを見てゆきましょう」

    超人バロム1(古城武司 原作さいとう・たかを)
    仮面ライダー(すがやみつる 原作石森章太郎)
    デビルマン(蛭田充とダイナミックプロ 原作永井豪)
    サンダーマスク(長谷川猛とひろみプロ 原案上原正三)
    変身忍者嵐(石川賢とダイナミックプロ 原作石森章太郎)
    アストロガンガー(浅井まさのぶ)
    快傑ライオン丸(一峰大二 原作うしおそうじ)

     

    池田さんは語る。

    「表紙のこれらのタイトルの上に「ぜんぶよみきり」の文字があります。当然でしょう。これらはすべて、特撮かアニメのマンガ化作品なんですから。この号のマンガには単行本未収録もあります。名高いサンダーマスクも、比較的地味なアストロガンガーも、とりたてて後世の展開はなく、単行本も出ていない。
    ちなみに「仮面ライダー」のこの回は、「冒険王ver. 完全版 仮面ライダー」が出るまで、ずっと未収録でした。怪人は、すがやみつるのオリジナル「分裂怪人ムカデコンドル」。ストーリーがまた凝っていて、サイクロンが爆発してバラバラになっちゃう。しかも、ここの柱(ページ端の余白部分)のところで、「ゲル・ショッカー」という新組織名が登場するんです!」

    「へえ、この号が初めてなんですか」

    「いや、『冒険王』本誌のほうでは、10月号のマンガ化作品で新組織が登場し、11月号で組織名が示されます。そちらでは旧ショッカーから新組織ゲルショッカーへの移行劇がきちっと描かれるのですが、別冊では、柱でポンと謎の名前を投げかけるだけで、何の説明もない。ストーリーともつながりがない。こういう小間切れの情報の出し方が、おこづかいの少ない子供たちを翻弄していたのです」

    池田さんはぷりぷり憤慨した。
    子供たちの世界は、すでに金に左右されるシビアな情報化社会だったとみえる。

    72年秋季号の収録マンガについて、池田さんはさらに言葉を続けた。

    「「超人バロム1」は、2007年、「完全版」と銘打って、単行本未収録回をおさめた本が出版されました。しかしながらたったひとつだけ、この完全版に漏れたストーリーがある。それがこの72年別冊冒険王秋季号の回なんです」

    「へえ、じゃあなおさらこの号は貴重じゃないですか」

    わたしがそう言うと、池田さんは少々複雑な顔になった。

    「いや、これにはぼくもいささか責任を感じるのです。実はぼくは以前、「ロボット&ヒーローCOMIXスーパーガイド」という本で、「バロム1」は最終回が単行本未収録だと書いたことがあったんですよ。「完全版」編集部はそれを参照したんじゃないかな。でも実際は最終回とこの秋季号の回の合計2話が抜けていたんです。ぼくはそのあと気が付いて、『ぼくらのヒーロー伝説』で訂正したんだけど、編集部はそっちは見なかったらしい。最終回は再録されたけど、この秋季号の回だけは漏れてしまった」

    「それは先生、罪ぶかい」

    「でもぼくのせいだけじゃないもん」

    確かに・・・。編集部がウィキペディアを鵜呑みにしたという類だろうが、こういうのは少なくないようだ。

     

    そもそも『冒険王』は、「イガグリくん」「ゼロ戦レッド」というような、オリジナル漫画に定評ある少年雑誌だったのだそうだ。

    おそらくそれゆえにこそ、かつて彼らは一度、時代の波に乗り遅れた。

    池田さんは語る。
    「1960年代後半、テレビにおける第一次特撮ブームが訪れるんです。そのころ他の少年月刊誌はどうだったか。

    たとえば『ぼくら』は、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」と立て続けに載せて、その写真を表紙にもグラビアにも出す、特集ページも組む、別冊ふろくはもちろんその他のふろくも、それにちなんだものを揃えて、大々的にアピールしました。
    次に『少年画報』はというと、これは逆に連載中だった「マグマ大使」がテレビ放映され、それをメインに展開していきました。要は2誌とも、テレビの特撮と連携して発展していたんです」

    では『冒険王』は?

    「その時期の『冒険王』特撮ものといえば「魔神バンダー」と「豹マン」でした。
    「魔神バンダー」なんて、表紙は飾るわグラビア紹介はされるわ、特集の増刊号まで出されて、渾身の売り出しようだったのですが、これがなかなかテレビ放映に至らない。なんと連載開始3年3ヶ月にして、やっと放映開始に漕ぎつけた。しかも放映期間はたったの3ヶ月」
    「「豹マン」に至っては、グラビア紹介もされながら、ついにテレビ放映されませんでした。ウルトラシリーズを擁する「ぼくら」だの、「マグマ大使」をもつ『少年画報』だのと比べると『冒険王』はなんとしても弱かった」

    結局、かれらはテレビの第一次特撮ブームにうまく乗ることができなかった。

    だがそのブームも終わるときが来る。
    そしてそれと同時に、週刊化の波がやってきた。

     

    (魔神バンダー)

    (豹マン)

    1960年代末、テレビの第1次特撮ブームは終息した。

    ほぼ同時期の1968年、月刊誌『少年』休刊。1969年、月刊誌『少年ブック』休刊。
    代わって68年、週刊誌『少年ジャンプ』創刊。69年、週刊誌『少年チャンピオン』創刊。その69年、月刊誌『ぼくら』は週刊誌『ぼくらマガジン』となり、月刊だった『少年画報』も隔週刊化された。

    「要するに少年月刊雑誌は、相次いで休刊し、どれもが週刊の波に飲み込まれてしまったのです」
    池田さんは慨嘆した。

    「秋田書店の月刊誌『冒険王』『まんが王』だけは、かろうじて持ちこたえていたのですが、1971年6月号をもって『まんが王』は休刊し、『冒険王』に統合されました。週刊化・隔週刊化で生き残りを図った『ぼくらマガジン』『少年画報』も、ほぼ同時期にけっきょく休刊します。戦後のちびっこたちを支えてきた少年月刊雑誌は、ついに『冒険王』一誌になってしまいました」

    だが『冒険王』本誌は、1971年半ばからそのあと13年間も生きのびる。(最後の1年ちょっとは『テレビアニメマガジン』と改名)

    池田さんは言う。
    そこには1971年に始まる第二次特撮ブームの中での彼らの必死の模索があり、その中央に、この別冊72年秋季号は立っているのだ、と。

     

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    1971年、第二次特撮ブームが始まった。
    翌1972年、それは最高の高まりを見せる。

    池田さんは語る。
    「1971年は「帰ってきたウルトラマン」「仮面ライダー」「スペクトルマン」(「宇宙猿人ゴリ」「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」と3段階で改題)だったのが、1972年には急激に増え、また子供向けヒーローアニメも数々放映されるようになりました」

    1971年初頭、『冒険王』は、「スペクトルマン」をメインにし、第1次のときはいまいち乗り切れなかった特撮ものを主軸に据えた。また同年11月号に「仮面ライダー」のグラビアを載せた。それは第二次特撮ブームに完全に狙いを定めた一大転換の始まりだった。

    池田さんいわく、『冒険王』は今度こそこの特撮ブームに、本気の、死に物狂いの照準を合わせた。
    それまでオリジナル漫画を看板としていた彼らは、特撮やアニメのマンガ化作品を次々に掲載してゆく。扱う作品は段階的に増え、1972年には、講談社が握っていた「仮面ライダー」「変身忍者嵐」「超人バロム1」「デビルマン」などや、小学館の「快傑ライオン丸」「サンダーマスク」が、網羅的に『冒険王』で読めるようになった。

    さて別冊については、彼らは、月刊『冒険王』本誌とは別に、別冊『冒険王』のほうへ、特撮やアニメのグラビアや特集図解を一気になだれこませた。

    『冒険王』本誌は従来どおりオリジナル漫画も掲載し続けたが、別冊は、72年夏季号から、それまでほとんどの紙数を割いていたオリジナル作品を一掃し、テレビの特撮やアニメのマンガ化作品に絞り込んだ。
    グラビアや図解の比重を増やす分、本誌に比べて1話の紙数を大幅に減らす。
    別冊冒険王を徹底して特撮とアニメの牙城にすること、それは、カラーグラビアや図解を極端に盛り込むことと、当代人気作のマンガ化作品を横断的・網羅的に掲載することで、実現された。

    この圧倒的なスタイルができあがったのが1972年のこの別冊秋季号であり、同時にこの号はその最も充実したレベルを達成しているのだ、と池田さんは言う。

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    「とにかくこの号には、無駄なページがひとつもないのです」

    池田さんは熱弁をふるった。

    「まず全体を見渡して「特写」というものが見あたらない。「特写」とは、制作側が宣伝のため撮影会にカメラマンを呼んで撮らせた写真のことで、『テレビマガジン』などはしばしばこういうのを使う。だがこの号のカラーグラビアは、すべてカメラマンが実際の撮影現場に出向いて撮ってきたものです。正直いって『冒険王』ほど、現場の空気を伝える写真をふんだんに使用したものはありません」

    「次に図解特集。これがまたカラー15ページにわたる分量を誇り、見事なものです。グラビア写真と図解の強さ。それを徹底して突き詰めているのが、この号の凄みなのです」
    「たとえばテレビマガジンは教育雑誌という顔を持ち、教育評論家の書いた「お母様に」なんてページが入ってたりするのですが、ここにはそんなぬるいものは入る余地がない。ただただ迫力ある現場の空気感と、視覚に訴える圧倒的な情報量があります」

     

     

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    この72年別冊秋季号は、いろいろな次元において、まさしくターニングポイントに当たっていた。

     

    「たとえばこの号で、初めて表紙のタイトル「別冊冒険王」の下に「映画テレビマガジン」という副題がつくようになります」と池田さんは言う。

     

    「以後この副題は継続し、翌73年6月号からは副題のほうが「別冊冒険王」というタイトルの文字より大きくなります。そうしてこれ以降、この雑誌は「別冊冒険王」ではなく「映画テレビマガジン」と呼ばれるようになり、それが74年2月号の休刊まで続きます」

     

     

    「またこの秋季号のあと、冬季号をはさんで翌年の春季号から、季刊だったものが月刊化し、判型もB5判からワイドなAB判に改められます。そのターニングポイントの痕跡が、こんなところにも見えます。ちょっとここを見てください」

     

    池田さんは、72年秋季号の表紙見返しをひらいてみせた。

     

    「大けん賞募集」

    クイズとアンケートに答えると変身サイボーグが当たるというものだ。
    ページの下部に「問題と応募のきまり」がある。

    「問題と応募のきまり」

    問題

    仮面ライダー、超人バロム・1、サンダーマスクのうち二段変身するのはどれでしょう。

    ①仮面ライダー ②超人バロム・1 ③サンダーマスク

    アンケート

    別冊冒険王の映画テレビマガジンを1年に何冊出したらいいと思いますか。

    ①4冊 ②6冊 ③12冊

    応募のしかた

    こたえは必ず官製ハガキに番号で書いてください。そしておもしろかったまんがを1つとアンケートも忘れずに書いてください。

     

    ホントだ!わたしはぎょっとした。この編集部はこんなところでさりげなく、なんというシリアスな調査をしているのだ。

     

    「翌年の春から年4冊が12冊になるのは、やっぱりこのアンケートが関係してるのかなあ」とわたしは訊いた。

     

    「よくわかりませんが、生き残るための『冒険王』編集部の模索が見てとれますねえ」

    池田さんはしみじみと言った。

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    池田さんとわたしは、別冊『冒険王』72年秋季号の表紙をつらつら眺めた。

    目立つピンク色の地に、仮面ライダー、サンダーマスク、変身忍者嵐、快傑ライオン丸、超人バロム・1が居る。小さくゴジラやデビルマンの顔もみえる。ヒーローたちをこれでもかというほど詰め込んだ、絢爛豪華な表紙だった。

    「いかにも冒険王らしい、ごちゃっとした感じでしょう」池田さんは嬉しそうに言った。

    「ピンクだし」とわたしは付け加えた。

    「ピンクだし(にこにこ)・・いてッ」

    表紙の派手さからすると、本体は意外なほど薄い。
    以前は本誌と同じくらい厚かったが、この前の夏季号から半分くらいの厚さになったのだという。オリジナル漫画をほとんど削り落とし、特撮やアニメの情報に先鋭化すると、こんなふうになるのだろうか。
    それは岐路に立った雑誌が、模索しながら生きようとしている姿だった。絢爛豪華でありながら一抹の不安も感じさせる。

    それでも池田さんを魅了したこの号のすがたは、見ているわたしをも惹きつけた。この雑誌は生き延びようとする気迫に溢れている。それが人の心を打つのだ。

    「にもかかわらず!」と池田さんは突然声をあげた。

    14

    「にもかかわらず!」と池田さんは声をあげた。
    「ぼくは!当時!子供時代!この本の存在すら知らなかったんですよ!」

     

    「へえ、子供の頃持ってたわけじゃないんですか」と言うと、池田さんは悲痛な表情になった。

     

    「そうなんだよォ。ぼくはちょうど仮面ライダーカードにいちばん力を入れていた時期だったから、臨時収入がなければ雑誌は月刊誌を買うだけで精一杯だったの!」
    「ああ、暗黒の10月発売ですね」
    それでせちがらい懐事情を綿々と話していたのか。
    「ホントそうなんだよ。ぼく以外にも買えないちびっこが多かったんじゃないかなあ。発行部数も少なかったと思うよ。これはぼくたちが知らない内にひっそりと本屋から消えていっていた号なんです」

    池田さんは大事そうに72年秋季号を撫でた。

     

     

     

     

    要するに、池田さんは大人になってこの号と出会った。

    池田さんは語る。

    「ぼくは当時、この本のことを何も知らなかった。この号がかつて本屋に並び、自分の知らない内に消えていっていたかと思うと、何ともいえない気持ちになるんです」

    「これを見ると当時の自分が生きていた空気をそのまま思い出す。この号はそれを感じさせるパワーがみなぎっている」

    「大人になって出会ったのに?」とわたしは訊いた。

    池田さんはすぐ答えた。「いや、たぶん、大人になって出会ったから」

    思い出すのは、おそらく美しい郷愁の光景ばかりではないだろう。
    仮面ライダーに夢中で、金欠で、ガツガツかつえていた子供時代。得られなかったモノはあまりにも多く、満たされなかった思いが胸に残る。手に入れたかったのに入れられなかったモノたちをこの手でつかむことへ向かってゆく、それが池田さんにとっての大人になるということか。

    まあちびっこ魂と言えば言えなくもないような・・・。

    ひとりになって72年秋季号をめくると、ひらいたページでは仮面ライダーが怪人たちに取り囲まれながら戦っていた。

    ……参ったねえ池田くん。

    きみは、ぜんぜん大丈夫じゃないね。