星まこと / アニメ探究 ⑮

「音楽も好き、本も好き、ノンフィクションにもはまった、プロレスも好き、ミーハーなんですよ。星まことがミーハーでなくなったら星まことじゃない。
今ホントに、なんていうのかな、ようやくあちこちでやってきたことが無駄じゃなかったって感じになってきたのかな、どうだろう。

絵には人生が出る。にじみ出る。
アニメは集団の作品だけど、それでもその集団作業を突き抜けて出てくるものがある。それを九州の片田舎で感じ取っていた。テレビの画面を通して通信教育を受けているみたいに。
絵を通し、モノを通して、明確に人物をめざす。そうしてその人の歩んだ航跡を真空パックのように残しておきたい。

好きな言葉があるんですよ。城山三郎の本のタイトルにある、「粗にして野だが卑ではない」という言葉です。どんなに貧しくてもどんなに賤しくても、品位を失っては駄目だと思う。ぼくは粗にして野かもしれないけれど卑ではありたくない。それは常に思っています。
けっきょくそう望むような人が好きなんです。そういう方たちに、会いに行っているんです」

ここで星さんの語りは終わる。あとはこのインタビュー本『伝説のアニメ職人(クリエーター)たち』をお読みいただきたい。
自分は何者なのかという問いは、星さんにとって大きな意味をもっているように見受けられる。
探究者だ、と星さんは名乗る。これはあまり一般的な表現ではない。普通は研究者という言い方になるのではないか。
星さんの名乗りには、自分の立ち位置は「研究者」のような第三者的なものではない、自分はただ、少年時代の憧れの世界をより深く知りたい、突き詰めたいだけなのだという思いがにじんでいるようだ。
だから評論家でもない。かつて自分を揺さぶったものが何だったかを正確に知ることは、そこに意味をつける行為とは別だと星さんは考える。そして語るときは、映画解説の淀川長治や小森のおばちゃまのように、どんな作品でもその魅力を語りたい。
自恃と潔癖の入り混じるその自己限定は、一方で、対象との距離や方法論に対する星さんの自覚の圧倒的な強さを示すものでもある。

冒頭で述べたとおり、1999年、『図説テレビアニメ全書』で、早くもテレビアニメ史を俯瞰する教科書のような一冊を手掛けた星さんだったが、それからほぼ二十年経った現在、歴史とそこに生きた人々をさぐる星さんの仕事は、いよいよ余人の追随を許さぬ領域に入ってきているようだ。
だが、今さら言うまでのこともない。これらすべてはあの、若者の可能性を見抜く不思議な力をもっていたひと、『宇宙戦艦ヤマト』の監督が、すでに見抜き、予見していたことであろうから。

<了>