たかはしちこ(アップルBOXクリエート)/ マンガ復刻・同人誌 ⑬

実の親をさがすなど、少女が幸せを求めてさまよう話はごく普遍的なパターンだが、当時はとりわけ流行のものだった。東浦美津夫は少女誌でこうした悲しい少女の話を多数えがいている。「少女クラブ」と同時期の雑誌「少女」では、「カナリヤさん」「バラ色天使」「涙のオルゴール」など、孤児となった少女の幸せさがしの物語が続く。

「少女」は、1949年から1963年まで光文社から刊行された少女雑誌。特徴のひとつに当時一世を風靡した子役スター・松島トモ子が、1950年代のあいだほぼずっと表紙をかざったことが挙げられる。
ちなみに1957年、東浦は、この光文社から、松島トモ子の伝記マンガ「まんが物語トモ子ちゃん」を刊行した。
当時、「少女」編集部は、世の悲しい少女たちをとりあげた実話コーナーに力を入れ、ふろくや増刊で、松島トモ子が実際に出会った悲しい話のシリーズを展開していた。東浦の「まんが物語トモ子ちゃん」は、冒頭、戦争で父を奪われたトモ子の不幸な生い立ちを描き、そのトモ子が本当に出会った悲しいお話をつなげて構成された一冊である。

昭和30年代初め、戦争の惨禍がまだなにがしかの実感を伴っていたあの時代、雑誌「少女」が、自分たちのシンボルとして起用した松島トモ子に求めたのは、スターであっても心に悲しみを秘め、世の少女たちと幸せさがしを共有する少女像だった。そうしてそれをマンガの面から支えたのが東浦美津夫だった。悲しく可憐な少女を描き続けた東浦の絵は、当時編集部から、時代を代表する少女・松島トモ子の肉体と心性をあらわすものとして、評価されていたようだ。
なお、原作者・春名誠一は、この悲しい実話シリーズに参加して東浦とタッグを組んだこともある。月刊少女雑誌でマンガや絵ものがたりの原作を多数つとめ、父を事故で亡くした少女の話「母子草」が国会図書館に残っている。

DSC_0153